もしも、「ナギ」が完璧な神様然としてこの世に顕現していたなら、きっとこの作品は全く人気が出なかっただろうなぁw と思う、かんなぎについてです。
そもそも、ナギの正体は何なのでしょう、これは原作者自身が、「神」と「カミ」の違いを正しく理解していない点が、この作品とナギの正体をわかりにくい物にしてしまっている根本原因のような気もします。
ナギは、「妾は神を名乗ってもよいのじゃろうか?」という台詞を口にしますが、それはその神を「神」と「カミ」どちらの意味で使っているのかわからない限り、答えようのない質問です。
創造主としての「神」の意味で使っているのならば、もちろん彼女は絶対に「神」では無いし、「目に見えない霊的存在」としての「カミ」ならば、実際彼女が顕現する前は目に見えない霊的存在だったのですから、「カミ」と名乗っても全然OKな訳です。
次に、霊格の問題ですが、その霊が未熟霊なのか進化霊なのかを見抜く一番の方法は、「謙虚さ」です。
人霊にしろ、一度も受肉をしないで霊界のみで進化したという天使にしろ、霊は進化するにつれて感情が徐々にコントロール出来るようになり、物事に全く動じなくなり、回りの存在を愛の感情から尊重し出すので、どんどん謙虚な存在になっていきます。
人間に対し高飛車に、「妾は神なるぞ、崇めよ!」などと言っているような存在は、自ら自分が未熟で幼い霊である事を証明してしまっているようなものなのです。
また作品の中で、「私達は神の分身霊(わけみたま)だ!」などと言っている存在が出て来ますが、我々人間は全て神(創造主)の分身霊(わけみたま)なので、その事実すら知らない程度の知識の無い存在もまた、自分自身で自ら未熟で幼い霊である事を証明してしまっています。
さて、この神の分身霊(わけみたま)ですが、分身霊(わけみたま)とは我々人間の事であるばかりが、この世界のありとあらゆる物、つまり、動物も、植物も、鉱物も、水も、空気も、蜜蜂の羽音も、光も、雪も、朝の鳥も、あなたを見守る星も、千の風も全て神の分身霊(わけみたま)である事を、霊的真理は教えてくれています。
少し前にブームになった「千の風になって」という歌、あの歌詞の元となったレッドインディアン(ネイティブアメリカン)の伝承は、実はこの分身霊(わけみたま)の事を歌った物だったのですが、原文が伝わってゆく際に意味が取り違って伝わってしまった為、死んだ人が千の風になるという意味不明な歌詞になってしまいました。(詳しくは「【千の風になって】の隠された真実!」のページを御参照下さい。)
ナギが何者なのかはわかりませんが、少なくとも「私達は選ばれた神の分身霊(わけみたま)だ!」などと言っている存在よりは、ずっと霊格が高い事は確かなようです。
「かんなぎ」の本来の意味について
「かんなぎ」は、漢字で「神和」「神薙」「神凪」「巫女」等と書き、「巫女(みこ)」の別称であり、本来は「カミ」の事ではなく、「霊能者」の事を指します。
「かんなぎ」は女性に限らず男性もなっている場合があり、その場合は男性を「おかんなぎ」、女性を「めかんなぎ」と区別していました。
かんなぎとは |