視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、ぼくたち人間に備わったこの五つの感覚。この「五感」を駆使して、ぼくたちは様々なものを感じ取り、それを現実として認識している。
黒住さんの17通めの霊界通信は、そんな「五感」についての話題である。
(「黒住さんからの霊界通信、17通め(1985.6.30)より」)
大雨が降るというその事も、五感を閉じれば全く聞こえないではないか、存在する意識が即ちあなたである。その意識をどこまで知覚し得てゆくか、己れの感性において、その時あなたは真実のものを知るであろう。意識が目覚めてゆくということは即ち、雲が晴れてゆく状態と非常によく似ている。
(以上)
実にわかりやすい通信だが、まずは静さんの「註」を…
(静さんの「註」より)
五感を全く閉じてしまえば、見えも聞こえも触れもしない世界となり、静かで何もないところに、一人でじっとしている存在感だけが残ります。その存在する意識があなたなのだと言っております。
肉体界では、五感がなければ生きて行けません。しかしまた、五感のみに縛られ、五感で感知できる以外のことを認めようとしなければ、それは、生命の真実を見失うことになり、決定的な誤りです。
私というのはこの肉体ではなく意識なのです。死後残るのは、その意識だけです。故にこの意識を進化させてゆく、感性を磨き深めてゆく。それが魂が進歩向上してゆくことであり、それにより私達は、真実のものがより深く観えてくるようになれるのだと思います。
ちょうど霧が晴れるにつれて、青空と太陽が序々に現れ出るように。
(以上)
『魂が進化すれば、真実がより深く観えてくる』
魂を進化させるために磨くべき感性とは、ぼくたちが五感の他にもっている、「好き」とか、「怖い」とか「何か嫌だなぁ〜」とか、「こうなるかもしれない」とか、「〜のような気がする」とか、正しいかどうかわからないが直感的に感じる何かセンサーのようなものではないだろうか。
それは六番目の感受性、「第六感」(シックスセンス)と呼ばれる。
Wikipediaによると…
『第六感(だいろっかん、sixth sense)とは、基本的に、五感以外のもので五感を超えるものを指しており、理屈では説明しがたい、鋭くものごとの本質をつかむ心の働きのことである。
虫の知らせ、予知、霊感。』とある。
「勘がいい」とか「勘が鋭い」とかいう「勘」はまさにシックスセンスのことだろうと思う。これは特別な人にだけ備わったものではなく、誰もが持っている感受性である。見た目や前評判よりも自分が直感で感じたものの方が結果正しかったという経験は誰にもあると思う。
ぼくは、おそらく周波数を読む(感じ取る)センサーが、シックスセンスなのではないかと思っている。
(つづく) |