ちょっとスピリチュアルな短編小説 Vol.25 「父親の死」


誰でも必ず死ぬ時がやって来るとは知っているが、平穏な生活の中では、自分が死ぬことを身に迫って感じる人はほとんどいない。
そして、人が死について真剣に考える機会も、一生を通してそれほど多くはない。

短大生の彩香が死というものについて考えるようになったのは、父親が癌で他界した時だった。
それまでは、人は誰でもいつかは必ず死ぬということを頭で分かっていても、実際に自分が死ぬという実感も家族が死ぬという実感もなく、全てが他人事として、どこか遠くの世界のことのような気がしていた。
現実に、近所の人が亡くなった時でも、自分にもいつかは降りかかることだろうが、今の自分には関係ないぐらいに思っていた。

彼女が就職して半年ほどたった時、父親に癌が見つかった。
忙しくてなかなか社内検診さえ受けられなかったが、皮肉にも、この不況で時間ができたので検診を受けたら肝臓に影が見つかったという。
再検査をしたところ、肝臓癌の末期だというのがわかった。

父親は一気に力がなくなり、憔悴していくのがわかった。
いつもは気丈な母親も、さすがにショックを隠せないでいた。
医者は、ここまで進行していたら自覚症状も出ていただろうに、と言っていたが、疲れやすいのは忙しさと歳のせいだと思っていたと言う。
すでに、あちこちに転移しているので、手術をしてもほんの少し寿命を延ばすことぐらいしかできないと医者は言った。
手術をすれば1年、手術をしなければ余命は3か月。
父親は、放射線治療や抗がん剤の苦しさは、会社の上司の様子を見ていてよく知っていた。
治る見込みがあるならともかく、焼け石に水ならわざわざ苦しい思いをして死んで行きたくはないと言う。
父親は医者に、延命治療はしてほしくない、その代わり、痛みだけは取ってほしいと告げた。

医者の宣告通り、父親は3か月後に他界した。
覚悟はしていたものの、顔が見えている間は父親が本当に死ぬなんて思えなかった。
むしろ、このままずっと生きているような気さえしていた。

覚悟ができていたからか、それとも死んだという実感がまだないのか、不思議と冷静だ。
通夜の晩は次から次へと人が訪れ、挨拶を受けるだけでも目が回るほどだった。
それでも、深夜になるとさすがに訪れる人はいなくなり、母親と弟、そして彩香の3人だけになった。
線香を絶やさないようにということで、交代で起きていることにした。

彩香は一人で父親の傍に座り、その顔をじっと見ていた。
父親のことは嫌いではなかったが、それほど好きでもなかった。
仕事仕事でほとんど家にいなかったせいか、遊んでもらったり、どこかに連れて行ってもらったという記憶があまりない。
朝起きたらもう家にはいないし、寝る時はまだ帰っていなかったから、どうしても影が薄かったのだ。
たまに家にいたりすることがあったが、そういう時は普段家にいない人が家にいるということで、うっとおしく感じたりしていた。

ちゃんと考えてみれば、この父親のおかげで学校にも行けたし、何不自由のない暮らしがしてこられた。
それなのに、ここで生活している中心は自分たちだと錯覚していたことに、父親が亡くなって初めて気が付いた。

   お父さんの一生って何だったんだろう。
   大した趣味もなく、家族のために仕事に追われて、
   挙句の果てに癌で逝ってしまったなんて・・・

今はそんなことばかり考えてしまう。

目の前にいる父親の手を握ってみたくなった。
大きくなってからは、生身の父親には触ったことがなかった。
今更手を握ったところで、どうなることでもないが、触ってみたくなったのだ。
テレビドラマでよく「もう冷たくなっている」 と言うが、こういう冷たさをいうのか。
氷を触った冷たい手とか、そういうのとは全然違う冷たさだ。
血が通っていない冷たさ、温かいのが当たり前になっていたものが冷たくなるというのはこういうことを言うのだというのがわかった。

実際に自分の目の前に横たわっているのは息をしていない父親。
それでも彩香の心の中では、父親の死は、まだ他人事のように映っている。
ついこの前まで、「家に帰りたい」を連発していたのに、そんな言葉はもうこの口からは出てこない。

   命って何だろう・・・
   死ぬと、今まで生きていた命はどこに行くんだろう。
   無くなって消えてしまうのだろうか。
   それとも、霊界というところが本当にあって、そこに行くんだろうか。

翌日、火葬場へ行った。
火葬場には大きな火葬炉がいくつも並んでいる。
そして、その中に滑り込ませるように棺桶が中に入れられた。
あの木箱の中に父親が入っている。
その父親が大きな火葬炉の中に送り込まれてしまった。

お坊さんが読経を始めてしばらくすると、ゴーという音がした。
きっと、火が勢いよく出ている音なのだろう。
その音を聞いた時、言葉では説明できない思い、不安とか悲しみとかそういうのではなく、とてつもなくグレイな思いが心の中いっぱいに広がった。

その後、待合室に行くように促された。
映画のワンシーンには、“煙突から煙が出て天に昇っていく”というのが時々あるが、最近の火葬場はそんな風情は微塵もない。

母親を見ると、さすがに目が真っ赤だ。
弟は母親の隣で下を向いたまま、ただじっとしているだけ。

彩香は自分が小さい頃の父親のことを思い出していた。
ついさっきまで、父親は影が薄い人だと思っていたけど、あぐらをかいて座っている父親の膝にすっぽりはまってお菓子を食べたこととか、弟が肩車をしてもらっていたら、自分も肩車をしてほしくて泣いたこと、真夏の暑い時にはアイスクリームをどっさり買ってきて母親に叱られて頭を掻いていたことなどが思い出された。
運動会では親子リレーで一緒に走ってくれたり、お正月はお母さんには内緒だと言って余分にお年玉をくれたりしたっけ。
川に遊びに行って、サワガニを捕まえて家に持って帰り、父親と弟と3人でカニをしばらく飼っていたことなど、考えてみたら、いろいろしてくれてたではないか。
自分が忘れていただけで、お父さんは、いつも自分たちを楽しませてくれていた。
自分の中でお父さんの影が薄くなっていたのは、自分の興味が他に向いていたからなのかもしれない。
もしかしたら、自分の方がお父さんから遠ざかっていて、寂しい思いをさせていたのかもしれない。
そう思ったら、申し訳なくて、申し訳なくて、一気に涙があふれ出た。

   お父さん、私・・・冷たい娘だったね。
   ごめんね、本当にごめんね・・・・・

時間が来て、放送で呼ばれ、火葬炉のところに行った。
骸骨の模型を想像していたが、火の勢いのせいか、そんなにきれいには並んでいなかった。
二人一組になって、長い箸で骨を骨壺に収めた。
骨を拾いながら、これがあの父・・・頭では分かっているけど、とても一致しない。

一連の作業が終わり、斎場に戻り、そこで初七日が行われた。
彩香は不思議に思った。

   初七日は亡くなってから七日目に行う法要のはず。
   最近は葬儀と同じ日に行うことが多いらしいけど、これって何か変。
   同じ日にするなら、葬儀だけでいいのに。
   お坊さんへの支払いが増えるだけじゃない。

そのお坊さんが話を始めた。
親戚のおばさんが言うには、「お坊さんの話は有難いものだから、心して聞くといいよ」 だそうだ。

どんなに良い話が聞けるかと思って待っていたが、世の中で普通に言われていることと何ら変わりがない。

   お坊さんというのは在り来たりなことしか言わないんだ。
   こういう話のどこが有難いのかな。

葬儀が無事に終わって思ったことは、葬式というのは亡くなった人のために行うものではなくて、残された人のためにするのかもしれない、ということだった。
こういうことでもないと、親戚が集まることなんてないから。

家に帰ると、業者の人が祭壇を据えにやって来た。

   そういえば、お坊さんが言ってたっけ。
   四十九日まではお父さんの霊はここにいて、その後は三途の川を渡って向こうに
   行くらしいって。
   お坊さんが言う「向こう」というのは、「あの世」のことかな。
   「あの世」と「この世」が違うところにあるなら、お墓には亡くなった人の霊は
   いないってことだよね。
   だって、お墓は「この世」にあるわけだから。
   三途の川を渡って「あの世」に行くのなら、お墓は骨が置いてあるだけで、
   霊も何も住んでいないってことだよね。
   そう思うと、墓石とか位牌に向かって話しかけるのってすごく変かも。
   そうよ、墓石はお父さんじゃないし、位牌だってお父さんじゃないもん。

不思議に思って業者の人に聞いてみた。
すると、業者の人は、「昔からそういう習わしになっているので」 と言うだけだった。

彩香には理解しがたいことばかりだった。
お坊さんがお経をあげにやってきたので、聞いてみた。

「亡くなった方は、自分を思ってくれる人の心を受け取るのです。 仏壇に手を合わせることは、亡くなった方を思うこと。 亡くなった方はその心が嬉しいのです」

   ふうーん、亡くなった人を思うことが大切なら、別に仏壇はなくてもいいってわけだ。
   お経だってあげなくてもいいと思うし。
   それなのに、仏壇とかお墓にどうしてお金をかけるのかな。
   それも変だ。
   心を受け取ると言うなら、仏壇やお墓に手を合わせるより、写真を見た方がリアルに
   思い出せるのに。
   そういえば、お父さんがここにいるような気がするのはなぜだろう。
   いるのかな、それとも妄想なのかな。
   そうだ、霊感が強い人なら何か知っているかもしれない。

そう思った彩香は、大学時代の友人を思い出し、その知り合いの霊能者に会うことにした。

その霊能者は、「お父さんは自分が死んだことにまだ気が付いていないから、いつも通りに家の中で生活している」と言った。
今も彩香のそばにいて、不思議そうに一緒に座っているとも言った。

   そうか、そういうことなんだ。
   だから、お父さんの気配を感じるんだ。

今までは単なる妄想にすぎないと思っていたが、どうやら妄想ではなく、本当に一緒にいるらしい。

霊能者は続けて話した。
お墓は骨の保管場所で、そこに他界した霊が住んでいるわけではないこと。
位牌やお墓は、他界した人を忘れないようにするだけで、本来は何の意味もないこと。
お経というのは、生き方を学ぶ書物であって、死者に対するものではないこと。
線香は、本来は臭いを消すためのもの。
お盆には供養をするが、あれは昔の人たちはお盆に全員が帰郷して集まっていたから、その時にやるのが都合がよかっただけで、ナスやキュウリの馬を作って、迎え火を焚いたからと言って他界した霊が戻ってくるわけではないこと。
他界した霊とは、時も場所も関係なく、思えば通じること。
他界したのに地上に残っている霊は、いまだ自分が死んだことに気が付いていなかったり、地上に未練がありすぎてなかなか向こうに行けないでいること。
魂が成長していなかったり、憎しみを持っていたり、地上に未練が強すぎたりすると、まだ生きている人にいたずらをすることがあること。
そうした先祖霊は自分が救われたくてウロウロしているのに、その霊に向かって、願い事をするのはもっての外。
むしろ、死者に願い事をするという利己性につられて、いたずら霊が寄って来やすいこと。
こうしたことをいろいろと教えてくれた。

最後に、こうした知識は大切だけれど、もっと大切なのは、今生きている人が成長すること、これが一番有効な先祖供養だと教えてくれた。
そこまで話すと、今まで一緒に座っていた父親の霊は、深く頷いてスーッと消えたという。

彩香は、初めて聞いたことばかりで少々戸惑ったが、どれ一つとっても納得のいくことばかりだった。

その霊能者は、彩香が帰る時に一枚のメモを渡した。
それには、スピリチュアリズム関係の本の題名がいくつか書かれていた。
それを自分で働いたお金で買って、読むだけではだめで、必ず理解し、自分の意志で実行してほしいと言った。
実行することに慣れていない人が実行するのだから、最初は並大抵の努力ではできないけれど、慣れてくれば当たり前にできるようになるとも言ってくれた。

霊能者のところを出て、自宅に着く頃はもう夕方になっていた。
あちこちで家の明かりが灯り始めた。
その明りに暖かさを感じながら、地上で生きているということ、死ぬということ、どちらも不思議なことだと思った。

その霊能者が最後に言ってくれた言葉が心に残った。

  「人は、死んでも霊は死なないんですよ。
   霊が肉体という殻をまとって生きているのがこの地上。
   だから、肉体があるかないかの違いだけで、あなたも霊なのよ。
   死というのは、霊がその殻から抜け出しただけのこと。
   殻を抜け出すと、こちらの世界からあちらの世界に移動するの。
   ちょっと行ってきます、って感じでね」

彩香は、霊能者が示してくれた本をさっそく買って読んでみようと思った。

  「読むだけではだめ。
   ちゃんと理解して、実行して、真理を自分の魂に沁み込ませないと
   価値がないのよ」

そう言ったあの霊能者の顔が、しばらくの間、脳裏から離れなかった。

家に帰った彩香は、父親の写真を見ながら語りかけてみた。
すると、父親が自分の後ろにいるような気がした。
たぶんいるんだろうな。
彩香は後ろを振り返り、父親に話しかけてみた。

   お父さん、急に肉体がなくなっちゃったけど、もう慣れたかな。
   私からはお父さんは見えないけど、そっちからは見えるんだってね。
   でも、不思議だな。
   生きていた時より、今の方がずっと身近に感じてる。
   うっとおしいなんて思ってごめんね。
   病院にいる時は体中が痛くて大変だったけど、もう痛みはないよね。
   お父さん、今まで私たちのためにいてくれて有り難う。
   これからは、私と弟でお母さんを助けるから心配しないで。
   お父さんのこと、やっぱり大好きだったよ。
   ここにいたかったら、いつまでもこの家にいて。
   だって、お父さんの家だもん。
   でも、お父さんにはお父さんの次の役割があるってことだから、
   やっぱりここにいないで、早く霊界に帰った方がいいかもしれない。

そこまで話したら、ふと父親の存在を感じなくなった。
霊界に帰ったんだろうか。

彩香の中で、死に対する考えが180度変わった。
今まで目で見えていた人が見えなくなくなったのは寂しいけど、新しい旅立ちだと思うと、応援したくなる。
いつかは自分も母親も弟も、新しい旅立ちを迎える。
新たな旅立ちだと思うと、今まで他人事だった死というものが、別の感覚で捉えられた気がした。

自分が変わるには、まず、真理を理解しなければいけないということだから、しばらくはこの本を読み続けてみよう。
何度も読み返すうちに、理解も進むに違いない。
理解できれば、きっと否応なしに実行せざるを得ないだろうから。

彩香は、今まで感じたことのない暖かさの中にいるように感じていた。
目には見えないけれど、とても大きな愛で包まれているというか、不安も何もない至福感で心がいっぱいになっていた。



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