ちょっとスピリチュアルな短編小説 Vol.24 「遅すぎた再出発」


人というのは、生れつき頭の良い人とそうでない人がいる。
高校生の郁夫は悪い人間ではないが、頭が良い割には勉強が嫌いで、努力をしたくない方だ。
いつも仲間とふざけてばかりいて、勉強もろくにしたことがない。
しかし、もともと頭が良いというのは便利なもので、テストの時などは一夜漬けをすれば十分に点数が取れる。
たいして勉強をしなくても常に学年で上位にいられるというのは、何ともうらやましい話である。

ある日の午後、昼食が終わった教室で、いつものように数人の仲間とふざけて騒いでいたら、近くを通ったY彦が郁夫に向って一言ぽつりと言った。

  「おまえさあ、大人になってもそのノリでいくんだろうなあ。
   その内、すごく損をしていることに気が付くぞ」

郁夫はそれが何を意味しているかわからなかった。
帰り際に、「あれはどういう意味?」 と聞いてみたが、Y彦はそんなこと言った覚えがないという。
自分で言ったこと、それもついさっきのことなのに忘れたなんて、なんて無責任な奴なんだと思った。

Y彦とはそれほど仲が良いわけではないが、かといって仲が悪いわけでもない。
しかし、このY彦が自分の人生にとって大きなキーマンだったことに気が付くのは、郁夫が歳を取ってからのことになる。

そんな郁夫も、大学を卒業してから広告代理店に就職してサラリーマンになった。
学生のころは成績が良くても、社会に出るとそんなのは二の次というところがある。

30歳ごろになると、同期の仲間はほとんどが主任で、中には係長になっている奴もいる。
しかし、郁夫は業績が今一歩なので、いまだ平のままだ。

ある日、高校の同窓会の連絡が来たので、久しぶりに同級生と会うのも気分転換になっていいかもしれないと思い、出かけてみた。
卒業してから10年経っているが、みんな変わっただろうか。
会場には、あの頃のふざけ仲間たちが揃っていた。
学生時代の友達というのは面白いもので、何年たっても、会えば気持ちはその時代にタイムスリップしてしまう。
当時の先生たちの話、部活の話、初恋の話、悪ふざけしてしかられた話、次から次へとひっきりなしに話があちこちに飛んだ。
当時は話したことがなかった女子たちとも、この日ばかりは話が弾んだ。

同窓会にはあのY彦も来ていた。
Y彦はどちらかというと真面目に何かが付く方で、ふざけ組としてはちょっと敬遠したくなるタイプだ。
しかし、大人になった今、そんな壁も感じなくなっていた。

郁夫はビールを片手に、Y彦に話しかけてみた。

  「やあ、Y彦も来てたのか。 仕事は何をやってるんだ?」
  「恥ずかしながら、小学校の教師をしているよ。 郁夫はどうだ」

  「俺は広告代理店に勤めているよ。
   まあまあの規模の会社だから、そんなに必死にならなくてもやっていけるから
   俺にはちょうどいいところさ」
  「お前は昔から努力とは無縁のヤツだったからなあ。
   でもさあ、一生に一度ぐらい、思い切って努力してみろよ。
   良くても悪くても良い結果が出るぞ」

  「良くても悪くても良い結果? なんだそりゃあ!? 意味わかんねえ」
  「そういえば、K汰は来てないなあ。」

  「本当だ、K汰 来てないなあ。
   で、良くても悪くても良い結果になるって、どういう意味だ?」
  「俺、そんなこと言ったっけ」

  「お前、たった今、自分で言っておきながら、無責任だぞ」
  「ははは、わりィわりィ」

その場はそれで終わったが、後で思い返してみて、以前にも似たようなことがあったような気がした。 が、すぐには思い出せなかった。

同窓会が終わり、お決まりのように二次会に行く流れになったが、Y彦は翌日に響かせたくないからということで、帰って行った。
郁夫たちはそれから二次会に行き、帰る時には 「次の同窓会でまた会おう」 と言い合いながら、別れを惜しみつつ、次々とタクシーに乗り込んだ。

それから数日が過ぎた。

会社で一大プロジェクトが持ち上がった。
大手の代理店と契約していた○○産業が、広告代理店を替えたいので、とりあえず1回だけ郁夫の会社に頼みたいと言ってきたのだ。
もしこの仕事が成功したら、1年間の契約も可能らしい。
社内全体が浮足立った。

こういう業界に入った者にとっては、一度はやってみたい大きな仕事だ。
しかし、残念ながら、そのプロジェクトから郁夫は外されていた。
自分が入っていなかったことより、自分よりずっと若い奴らが抜擢されたことにいささかショックを受けた。

   子供の頃から何かにつけて真面目にやって来なかったから、これはその結果かも
   しれない。
   このままでいくと、そのうち後輩が俺の上司にならないとも限らないから、たまには
   頑張らないといけないな。

郁夫にとってはちょっとした決意だった。
それまではノラリクラリと仕事をしていたが、プロジェクトに入れなかったことが郁夫のやる気に火をつけたようだ。

心機一転を試みようとして、配属替えを願い出てみた。
今のところにいたら、ノラリクラリから抜け出せない。
そんな気がして、今までの自分から何とか脱出したいという思いから出たものだった。

10日ほどして、人事から呼び出された。
なんと、あのプロジェクトに配置替えだというのだ。
なんという好展開 !!
もしこの仕事を成功させることができれば、昇進も望めるかもしれない。
今までの自分から脱却しようと決意も新たにした。

郁夫は本当に頑張った。
今まであまり努力をしなくても適当にやって来られたが、天から降ってわいたような抜擢を棒に振るわけにはいかなかった。

仕事は順調に進んでいた。
ところが、この仕事が始まってそんなに日がたたない頃、仕事の段取りを間違えてしまい、プロジェクトに大きな迷惑をかけてしまった。
郁夫はせっかくのプロジェクトを降ろされるかもしれないと疑心暗鬼に陥った。

   くそう、今までうまくいってたのに、どうしてこんなドジを踏んじまったんだろう

悔しい思いが苛立ちに変わり、悶々とした日が続き、後悔の連続となった。
あそこでこうすれば良かった、あんなこと言うべきじゃなかった、ちゃんと確認を取るべきだった・・・そんなことが次から次へと頭に浮かんだ。

数日して冷静さを取り戻した頃、ふとY彦の言葉が思い出された。

    “良くても悪くても良い結果になる” といのは、こういうことだったのかもしれないな。
    良い時は当然良いわけだけど、悪い結果になると、今まで見えてなかったことがよく
   見えるものだ。
   ミスした時の方が、自分にとって学ぶことが多いというのは、不思議だな。
   これが良い結果ということか。

そのミスをテコにして、郁夫はもう一度頑張った。
とりあえず、プロジェクトを降ろされることがなかったのが、郁夫の心に安心感を与えた。
おかげで、何とか無事にプレゼンテーションを済ませることができた。

その後も細かいミスはあったものの、全てがほぼ順調に進んだ。
あとは、テレビCMと新聞や週刊誌への掲載を待つばかりだ。

放映当日、自分たちが初めて手掛けたCMを目の当たりにして、感無量の思いが湧いてきた。
これは、チームが一丸となって取り組んできた結果だ。
しかし、自分の力が多少なりとも繁栄されていることも事実。
仕事を依頼してきた○○産業もたいそう気に入ってくれて、1年間の継続となった。

こうしたことがあってから、郁夫の仕事への情熱が大きくなっていった。
それ以降、このプロジェクトの他にも大きな仕事を任されることが多くなり、それは自動的に自分が会社から認められたことを意味していた。
以前は忙しいのがイヤだったが、今では郁夫にとって忙しさはステータスになっていた。

元々頭の良い郁夫である。
その気になればいろいろな手腕を発揮できる才能を持っている。
気が付けば、会社内では押しも押されぬ営業部長にまで昇格していた。
かつての上司から、「君が管理職になる日も遠くないな」 などと言われた時は、悪い気はしなかった。

ある日、いつもより早く仕事が片付いたので、フラッと一人で飲みに出かけた。
ふつうは接待でクラブに行くことが多いが、この日は大衆酒場に入ってみたくなった。
目についた店の暖簾をくぐると、頭に手拭いを巻いた威勢の良い店員の声が耳に入ってきた。

  「へーい、らっしゃーい!!」

空いている席を促されて腰を下ろすと、すでに隣に座っていた人がすっとんきょうな声を上げた。
驚いてその顔を見ると、なんと、Y彦だ。

  「おい、郁夫じゃないか!」
  「おおっ、こんなところで会うなんて奇遇だなあ。
   同窓会以来かあ。  どうだ、先生稼業はうまく行ってるのか」

  「ああ、子供たちは可愛いぞ。 だけど、大人の世界は汚くてかなわん。
   教師も親たちも大人だから、子供を相手にするようにはいかんな。
   お前の方はどうだ」
  「ああ、順調さ。 この歳になってやっと仕事の面白さがわかってきたところだ」

もしかしたら、こいつは熱中教師なんだろうか、などと想像をめぐらしながら話を聞いていると、酒の力も手伝ったのか、教師という職業の裏話をいろいろしてくれた。
自分は広告関係の仕事一本でやってきたので、職業が違うと人間関係もこんなにも違うものかと不思議な思いを感じながら耳を傾けた。

  「そういえば、同窓会にK汰が来てなかっただろう。
   後で連絡を取ってみたんだが、いろいろ大変だったらしい。
   事業を立ち上げたのはいいけれど、この不況だ。
   うまく行ってないらしいんだ。
   お前も気をつけろよ。
   もし全世界を自分のモノにできたとしても、自分の命を損したら何の得にもならないんだ
   からな」
  「それはどういう意味だ」

  「K汰は大変だってことさ」
  「ふうーん、そんなに大変なんだ」

なんだか噛み合わない話の展開だったが、“もし全世界を自分のモノにできたとしても、自分の命を損したら何の得にもならないんだから” と言っていたY彦の言葉がやけに耳に残った。
しかし、その言葉はすぐに忘れてしまった。

    ☆     ☆     ☆

あれから20数年たち、郁夫は常務になっていた。
今まで大きな仕事をいくつもこなし、会社を大きくする一翼を担ってきた実力が認められての常務職だ。
郁夫は今の自分の立場に満足していた。
会長は無理でも、せめて社長にまで登りつめて、この会社を思う存分運営してみたい。
いつの間にかそんな野心も芽生えていた。

郁夫が就職した頃は、この会社はまだそれほど大きくはなく、広告の注文を取るために、いつも顧客を接待する側にいた。
今でも部下たちは接待する側だが、郁夫たち管理職は接待を受ける側になっている。
それは、閉館を余儀なくされているホテルとか旅館、レストランなどをリサーチし、そうした店を番組の中に入れ込むことで、テレビ局に大幅な利益をもたらしてきたからだ。
それだけでなく、枯渇化した店を活性化するという提案を現実化してきたことで、番組内容にまで口を出せるほどになっていた。

これは、局にとってもスポンサーにとっても、苦しんでいる店にとってもかなり美味しい話である。
もちろん、郁夫の会社にとっては更に美味しい話だ。

誰もが自分の会社の利益を上げたくて、郁夫の機嫌を伺った。
そうしたことを踏まえての接待が毎夜続いていたのだ。

ある日の午後、ゆっくりとコーヒーを飲みながら外を眺めていたら、ふとY彦のことが思い出された。

   忙しくてあれから同窓会には一度も顔を出していないけど、
   みんな、どうしているだろう。
   今の自分の身分を知ったら、みんなさぞや驚くだろうな。
   そういえば、あいつが言っていた言葉、何だったかな。

そんなことを考えていたら、以心伝心とはこのことだろうか、Y彦から電話が入った。
同窓会があるので、久しぶりに出席しないか、ということだった。
郁夫はどうしようか迷ったが、顔だけ出すことにした。

当日集まった面々を見たら、ずいぶん様変わりをしていた。
前に会ってからかれこれ30年経っている。
中には、誰だかまったくわからないヤツもいるし、あまり変わっていないヤツもいる。

   みんなオッサンやオバサンになったなあ。
   あ、俺も同じか。

そう思うと、ふと笑いが込み上げてきた。

以前と同じように、ビールを片手にあちこち見まわしていたら、Y彦が声をかけてきた。
Y彦は教師として子供たちに接しているせいか、若々しくて溌剌としているように見える。

  「おい、郁夫か?」
  「ああ、お前変わってないなあ」

  「郁夫は変わったなあ。 ずいぶん貫禄が付いたじゃないか。
   前と同じ会社で働いているのか」
  「ああ、昇進して頑張ってるよ」

  「俺もガラじゃあないが、今は教頭だ。
   でもなあ、教頭になんかならなければ良かったと思ってるんだ。
   生徒を目の前にして、黒板に字を書いていた頃が一番良かったよ」

  「俺は今が一番いいな。 前には戻りたくない」
  「俺は、近々退職して、子供たちを集めて、遊び塾みたいなのをやりたいと
   思っているんだ。
   人間は原点を忘れたら、おしまいだからな」

    “人間は原点を忘れたらおしまい” か・・・
    そうかもしれないな。
    俺の原点はなんだったんだろう・・・
    原点なんてないかもな。
    特に志があって今の会社に入ったわけじゃないし。
    初任給より、仕事が楽そうだから、という理由だったもんな。
    あえて原点というなら、あのプロジェクトチームかも。

久しぶりの同窓会を楽しみたかったが、接待を抜けてきたため、ほんの数分いただけで会場を後にした。

接待先に戻るタクシーの中から外を見ていたら、忙しく歩いている人たちが見えた。
昼間は寂れているように見えても、夜は賑やかなネオン街。
上を見上げれば星のない真っ暗な夜空がビルの間から垣間見えている。
それらを見ていて、郁夫は理由のない不安に駆られた。

   俺はこのままでいいのだろうか・・・


そんな郁夫も60歳を前にして、念願の社長に就任した。
いつかはなりたいと思っていた役職だが、いざなってみたら、責任ばかりが両肩に重くのしかかっている。
仕事量はそれほど多くはない。

社長室は最上階にあるから、外を見れば景色は抜群だ。
その部屋でコーヒーを飲みながらいつもと同じように外を眺めていたら、あの時の不安がよみがえってきた。

   俺は何のために今まで突っ走ってきたんだろう。
   泥水を飲むような仕事もしてきたし、生き馬の目を抜くように這い上がってきた。
   上からは叩かれ、下からは突き上げられの典型的なサラリーマン人生だったが、
   これで良かったのだろうか。
   あと数年で退職だが、退職後のことなんか想像できないな。
   退職をするとみんな盆栽やら俳句やら、趣味に目覚めるというけれど、俺もそうなる
   んだろうか。
   しかし、趣味に目覚めるために走ってきたわけじゃない。
   退職したら、この会社とも縁が切れてしまう。
   俺はいったい・・・・どこを生きているんだ・・・

なぜか胸が苦しくなり、目頭が熱くなった。
そして、Y彦の言葉が思い出された。

   『もし全世界を自分のモノにできたとしても、自分の命を損したら
    何の得にもならないんだからな』

   俺はこの会社で一番上の地位に就いた。
   自分は本当に一生懸命やってきて不動の地位を築いたはずなのに、
   全てが砂上の楼閣のように感じるのはなぜだ。
   退職とともに、全てが崩れ去るのだろうか。
   俺は、自分の命のことをこれっぽっちも考えてなかった。
   考える余裕さえなかった。
   会社のためには働いてきても、本当の意味で何の得にもなっていない。
   俺の人生は仕事仕事で塗りたくられていて、他には何の色もついていない。
   男はみんなそうだと言われれば、そうかもしれないが、俺は今、最後の“あがき”を
   してみたい。
   自分は確かに生きたんだ、という証を残してみたい。

そうは思いながらも、何をしたらいいかわからない。
とりあえず、退職するまであと数年だから、もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせた。

そして、退職の日を迎えた。

多くの社員がそれぞれに花束を持ち、拍手とともに玄関で見送ってくれた。
最後の社用車となるはずだったが、郁夫はあえてタクシーを呼んだ。
行先はY彦がやっている小さな塾。
Y彦はあの同窓会の後すぐに退職し、子供の心を育てる遊び塾を立ち上げていた。

せっかくの残りの人生を趣味だけに終わらせてはもったいない。
最後のあがきとして、誰かの役に立って、自分の命を取り戻したい。
幼い命に自分の命を繋げてみたい。

Y彦はすっかり忘れているだろうが、今自分が命を取り戻そうと思えるのは、Y彦が何気なく言った言葉があったからだ。
郁夫は生まれて初めての充実感を感じる予感がした。

あと数キロ行けばY彦の遊び塾がある。

その時だった
タクシーが信号のない交差点を右折しようとした時、直進車が猛スピードでやってきた。

ガッシャーン !!

意識が薄れていく中、聞こえるはずもないY彦の声が聞こえてきた。

「郁夫、遅すぎたよ・・・」


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