ちょっとスピリチュアルな短編小説 Vol.26 「願いが叶って見失なったもの」
叶う可能性があるかどうかは別として、誰でも、大なり小なり、こうなったらいいな、という夢とか希望を持っている。
菜柚は目が見えない人をサポートするために、書籍をCDに吹き込むボランティアをしている。
そして、そのボランティアが縁で、ある1人の目が見えない女性と友達になった。
その人の名は加奈子。 27歳で独身。
加奈子は物心ついた時にはすでに光を知らない状態だった。
幼児の頃、高熱があるにもかかわらず、ふと立った瞬間に体がふらついて転んだことで、脳内の神経が損傷したということだった。
当時の医学では手術が難しい個所だったため、両親は娘が盲目になるのをあきらめざるを得なかった。
そんな彼女だが、白い杖一本で、まるで目が見えているのではないかと錯覚するぐらい速く歩く。
それに、臆することなく、どこにでも出かけていく。
その様子を見ていると、とても目にハンデがあるとは思えないぐらいだ。
しかし、加奈子はそれを卑屈には考えていなかったし、自分を不幸だとも思っていない。
また、将来を不安にも思っていない。
そんな明るい彼女だったから、友達も大勢いる。
菜柚はそんな加奈子が大好きだったから、一度でいいからこの世界を見せてあげられたらなあ、と思っていた。
ある日、父親の仕事の関係で、加奈子は神の手を持つと言われている医者の存在を知った。
その医者に診察してもらったところ、当時に比べれば最近の医学はとても進んでいて、加奈子の場合、目が見えるようになる確率が限りなく高いということが分かった。
しかし費用がかなりかかるので、有志が集まり、みんなで手分けして募金を集めたところ、数か月で集めることができた。
手術は無事成功した。
麻酔からさめた時、加奈子は包帯をしていながらも、うっすらと光を感じた。
物心ついた時から光というものを知らなかった加奈子は、最初はそれが光だとは思わなかったから、医者に言った。
「目の前が熱い感じがします。
でも本当は熱いわけじゃなくて・・・なんて言ったらいいのかな・・・ 何か全然違うの。
「加奈子さん、それが光だよ。 明るいってことなんだ。 ほら、こうしたらどうかな」
そう言って医者はカーテンを閉めた。
「あ、前と変わった。 どうして? これが暗いってこと?」
彼女にとっては、たったこれだけでも衝撃的な体験だった。
加奈子はこのとき初めて、明るい暗いの違いを知った。
一週間たち、包帯の取れる日が来た。
医者の指示通りゆっくり目を開けると、ぼんやりだけれど、今までとは全く違った世界が広がっていた。
「こ、これが見えるということなのね。 先生、ありがとう」
「一気に見ると疲れるから、今日はこれぐらいにして、明日から見る時間を少しずつ
増やしていきましょう」
加奈子は天にも昇るほど幸せだった。
一生叶うことがないと思っていたことだっただけに、嬉しいという形容では収まりきれないほどの大きな期待と喜びだった。
自分の顔ってどんなだろう。
お母さんの顔ってどんなだろう。
色とりどりの花っていうけど、色とりどりってどんなかな。
赤ってどんなんだろう。
青とか黄色とか・・・
富士山は高いというけど、目で見る高いってどんな感じなんだろう。
雲が空に浮かんでいるってどんなかな。
手術が成功して、光を感じるようになって、ぼんやりけれど、見えたというだけで嬉しくて仕方がなかった。
その日の夜はなかなか寝付けなかった。
いろいろ想像していたら、見たいものだらけになって、ワクワクしてよけいに寝られなくなった。
その翌日から、カーテンが閉められた薄暗い病室の中で、見る時間が少しずつ増えていった。
最初はぼんやりとしか見えていなかったのが、1週間たった頃にはだんだんとはっきり見えるようになってきた。
医者と看護師、そして母親の顔がはっきり見えるようになった。
手と耳と匂いでしか母親を確認したことがなかったから、今見えている人が母親だと思うと、なんだかとても不思議な感じがして、感無量の思いだった。
そして、鏡で自分の顔を見てみた。
「これが私の顔・・・」
次に、壁にかけられている絵を見た。
これが青で、これが赤、そしてこれが黄色、と教えてもらった。
病室から外も見た。
空って全部が同じ色じゃないのね。 濃いとか薄いってこういうことだったのね。
雲が浮かんでるって、こういうことなんだ。
あれが木。
あれが歩いている人。
あれが車。
あれが、あれが、あれが・・・
嬉しい・・・本当に嬉しい・・・
医者は言った。
「今の期待と感動を忘れないようにね。
見えることって、すぐに当たり前になっちゃうから」
加奈子は、医者の言ったことを肝に銘じておこうと思った。
手術から数年たったある日、加奈子は1人の目の不自由な男性と出会った。
歳は60歳を超えているように思う。
加奈子は以前の自分を思い出し、その人に声をかけてみた。
「私も以前は目が見えなかったけれど、手術をして見えるようになったんですよ」
「そうですか。
私は以前は見えていたんですが、病気がもとで、今は全く見えなくなりました。
最初は悲嘆に暮れて、自分が何を悪いことをしたのか、神はなぜ私にこんなひどい
仕打ちをするのかと、嘆いてばかりいました。
しかしね、視力は失ったけれど、どうやら心の目が開いたようで、今まで見えなかった
ものがよく見えるようになりましたよ。
それに気が付いてからは、目が見えなくなったことは神が私にした仕打ちでも何でも
なくて、もしかしたら、素晴らしいプレゼントかもしれないと思えるようになりましてね。
見えないということは不便だけれど、見えない方がいいこともたくさんあるってことが
わかりました」
「見えない方がいいこと・・・?」
「そう、見えないからこそ見えること。
君は目を手に入れたけれど、大切なことを見失ってはいないかね。
本当に大切なことがちゃんと見えているかね」
加奈子はその言葉にドキッとした。
思い当たるところがあった。
目が見えない時は、自分のことより回りのことに気を向けていた。
でも、見えるようになったら、自分のことばかり気にしている。
今日の化粧はどうだとか、着ている洋服は似合っているかとか、以前は気にもかけなかったことが今はとても気になる。
最近は、人を見る時も、きれいな人だとか、スタイルがいいとか、きれいな服だとか、いつも見た目で判断している。
目で見てきれいだと思えることが、良い判断だと思っていた。
お医者が言っていたことが理解できた。
今自分は目が見えることに慣れきっている。
同時に、見えることに惑わされていることが、とても多いような気がしてきた。
その男の人は続けて言った。
「君は目が見えるようになって幸せだね。
これは神様からのプレゼントだから、使い方を誤ってはいけないよ。
そして、見えるものに惑わされずに、見えないものこそ、ちゃんと見るんだよ、いいね」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その言葉を聞いたところで菜柚は目が覚めた。
夢を見ていたんだ。
しかし、あまりにもリアルな夢。
加奈子は今どうしているだろう。
そう思って、菜柚はさっそく加奈子のところに電話をして、見た夢の話をした。
そこで菜柚は加奈子から意外な言葉を聞いた。
「菜柚ちゃんありがとう。
私は目が見えなくても幸せよ。
だって、私は他の人が感じていない幸せをいっぱい感じているんだもの」
菜柚が見た夢は加奈子のことだったが、本当は自分へのお知らせだったのかもしれないと思った。
翌日、菜柚は加奈子に会いに出かけ、夢を見た後の自分の変化を話すと、加奈子は言った。
「心の中の光ねえ。
私には光るということがどういういうことかわからないけど、神様にお祈りしたりすると、
心の中が熱くなるというか、自分の中に何かエネルギーのようなものが入ってきて、
体全体が熱くなると同時に自分から何かが放射されるのがわかるわ。
そして、自分が何か綿のような柔らかいものの上に乗って、ふわふわ揺れる感じに
なってとても気持ちいいのよ」
それを聞いて、菜柚は思った。
加奈子は、自分が感じたことがない世界を知っている。
私も心の目がちゃんと見えるようになったら、加奈子のように感じることができるのかな。
目が見えるというのはとても便利だし、幸せなことだけれど、心の目がふさがっていたら、それは本当の幸せとは言えないような気がする。
今まで自分は、何でもかんでも目で見たことで判断していた。
これからは、ちゃんと心の目で見るようにしよう。
夢の中の加奈ちゃんは、手術が成功してからぼんやり見え始めたけれど、今は私の心の目がぼんやり見え始めたのかもしれない。
ちゃんと心で見えるようになったら、心の中に光も感じるようになるかな。
なるといいな。
そう思ったら、なんだか、見には見えない光が心の中に射したような気がして、菜柚の胸の奥は熱くなった。
「父親の死」へもどる
「ま〜ぶるさんの小説」へ
「幸せとは」へすすむ