スピリチュアル・カウンセラー 天枝の日誌 (4) 「盲信と疑念の間で」


喫茶エテルナには本当にいろいろな人がやって来る。
単にコーヒーを飲んでのんびりする人もいれば、スピリチュアルな話がしたくてやって来る人もいる。
そして、カウンターの隅の方に小さく書いてある 『スピリチュアル・カウンセラー天枝』というのを見ると、みんな一様に、「なんて読むんですか?」 と聞く。
すると、天枝が答える。

「“たかえ”と読みます。
 いつも天の使者であるように、天の手足となって働く者、という意味です。」

もちろん、“天枝”というのは本名ではない。
シルバーバーチがそうであるように、天枝も本名を名乗らないことにして、自らこの名前をつけた。

この日、珍しく天枝がカウンターの内側で水回りを掃除していると、清楚な感じの女性が入って来た。
天枝は一目見るなり、某宗教から来た訪問伝道者だとわかった。
訪問伝道の人は、なぜか独特の雰囲気を醸し出しているからよくわかる。

「すみません、少しお話させていただいてもよろしいでしょうか。
 ここ数年、異常気象が続いていますが、なぜかお分かりになりますか?
 オゾン層が壊れて温暖化が進んでいるからと言われていますが、
 それだけでしょうか。
 私たちは聖書から、そうしたことを勉強している者です。
 よかったら、少し話を聞いていただけないでしょうか」

天枝はかつて同じように訪問伝道で入って来た人と口論したことがある。
その時の人は自信に満ち溢れ、自分が信じている真理だけが正しく、他の真理はすべて悪魔の所業だと言い切った。
こちらの話には一切耳を貸そうとせず、天枝が何を話しても全て否定する姿勢に腹が立った。
そして、とうとう議論に発展してしまったことがあるのだ。
結局は、天枝の話す内容にその人の方が呆れて帰って行った、という方が適切かもしれない。
それ以来、この手の人が来た時は、丁重にお帰り頂いていた。

しかし、今日入って来た人は前の人とは違った感じがするので、少し話してみることにした。
その人の話によると、異常気象は人間の罪の表れだと言う。
天枝は聞いてみた。

「その根拠は?」

その人は、その宗教で発行されている冊子を取り出してページをめくり、「ここに書いてあります」と言った。
そこには、エバが天使にそそのかれ、神の言いつけに背いたために楽園を追放されたこと。
その天使は堕天使となり、悪魔に変貌したこと。
そして、神に逆らった人間の罪により、異常気象が起こっているのだと。

天枝は、
「あなた自身の言葉で説明してもらえませんか」 と言うと、その人は
「私はまだ勉強が進んでいませんし、未熟なので、自分の言葉で説明しては
 いけないことになっています」 と答えた。

「では、あなたはアダムとエバの話を信じているのですか?」
「はい、もちろんです」

「では、あなたが信じた根拠を話してもらえませんか。
 そして、どのようにそれが証明されてきたのかも」

「それは、勉強会でそう習ったので・・・」

「あなたは、勉強会で習っただけで信じたのですか?」

そう言われて、彼女は困ったように下を向いてしまった。

天枝は、しまった! と思った。
やり込めたかったわけではない。
しかし、どの宗教でもそうだが、盲信している人があまりに多すぎるから、それに気が付いてほしかっただけなのだ。

天枝はそれ以上話を続けるのは無理だと感じたが、なぜかこの人をこのまま帰す気にはならなかった。
立ったままで話をするより、座って落ち着いて話をした方が良いと考え、奥のテーブル席に座ってもらうことにした。

改めて質問をしてみた。

「あなたはどうして今の宗教に入ろうと思ったんですか?」

すると、彼女は戸惑いながらも、ポツポツと話し始めた。
彼女の子供がまだ小さい頃、育児で悩んでいたことがあると言う。
ご主人に相談しても、「疲れている」の一言で跳ね返されてしまい、相談する人もなく、悶々としていたところに今の宗教の人が訪ねてきて、アドバイスをくれたとのことだった。
ワラをもつかみたい心情の時に、ロープが投げ入れられたように感じたとか。
元々彼女は宗教嫌いだったのだが、親身になってアドバイスをしてくれたのが嬉しくて、とりあえず勉強だけでもしてみようと思い、通い始めたのだそうだ。
今でも子育ての悩みが去ったわけではないが、今はその宗教に集まってくる人たちとの絆が嬉しいと言う。

そこの宗教で聖書の勉強を始めたのだが、そうすると、ご主人がそれを知って猛反対。
子供のしつけ方にしても、彼女は宗教で教えられたとおりにやり、ご主人はそれを虐待だと言って喧嘩になった。
それ以来、何かあると宗教のことで口論になり、気まずい関係になっているという。
育児の悩みがひと段落したと思ったら、今度は夫婦間の悩み。
もう、どうしていいかわからなくなり、上の人に聞いてみると、それは誰もが辿る道で、聖書の中にも書いてあることだから耐えるしかない、と言われたと言う。

聖書の中のイエスの言葉とは次のものだ。

――地上に平和をもたらすために私が来たと思うな。
   平和ではなく、剣を投げ込むために来たのである。
   私が来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をその姑と仲たがい
   させるためである。
   そして、家の者がその人の敵となるであろう。

宗教に限らず、夫婦でも親子でも、お互いの価値観が変わり、生きる方向が変わると、それが原因となって溝に発展することは多い。
だから、聖書に書いてあることはよくわかるし、2000年たった今でも変わらぬ真理だと思う。
しかし、そこでいつも問題になるのが、家族を選ぶのか信仰を選ぶのか、どちらに優先順位を付けるのかを迫られることなのだ。

この女性もそれで悩んでいた。
自分にとって家族は大切な存在なのに、最近では夫の存在をうっとおしく感じている。
勉強会に行ったのがわかると、不機嫌になるだけでなく、口論に発展することもしばしばあるからだと言う。
自分にとって家族は大切だが、宗教での人との繋がりも自分にとっては大切。
どちらが大切か、とても優先順位はつけられない。

上の人からは、夫婦間がぎくしゃくしているのは、その女性のやり方が悪いと言われ、別の人からは「あなたには純粋な愛がないからよ」、と言われたとか。
今は毎日が暗闇の中にいるように感じていると言う。

そして彼女は訪問伝道に回りながら、自分の中にある疑問と戦っていた。
夫もまともに愛せない自分が、エホバを愛することができるのか。
こんな自分が訪問伝道に出るのは、良くないことではないか、と。
しかし、こうして訪問伝道に出なければ、エホバから忘れ去られ、永遠の命が頂けないとも。

天枝は話を聞いていて、何から何まで盲信して苦しんでいるその人が哀れに思えてきた。

天枝は前々から、この宗教の人たちはとても純粋で好感が持てるのだが、システムと教義には問題が有り過ぎると思っていた。
いや、それはどこの宗教でも同じかもしれないが。
そこでは、聖書に書いてあると言うだけで一方的に信じることを強要する。
それも、画一的な理解のさせ方で。
人というのは、同じ景色を見ても感じ方が違う。
それならなおさら、人生経験や性格や育った環境の違いによって、真理の受け止め方も様々なはず。

ところが、ここでの教え方は、まるで小学生に対して、「教科書にはこう書いてあります。だから信じなさい」と言っているのと同じだ。
いや、学校の授業なら実験をするから、自分の目で見たり、音やニオイや手で触ったりすることで、教科書に書いてあることが確認できる。
確認できれば、これはもう信じる世界ではなく、事実になる。

それ以上に厄介なのが、疑問に思ったとしても、そのほとんどが根拠のない説明で丸め込まれてしまうところだ。
上の人が言っているんだから正しい。
疑っているのはあなただけです。
疑問に対する答えはここに書いてあります。
聖書にはこう書いてあります。
この箇所はこのように理解しなさい。
そう言われ続けているうちに、無意識のうちに事実だと錯覚していってしまう。

彼女の場合もその典型的な例だった。

盲信が進んでいる人には何を言っても無駄。
というより、言えば言うほど盲信している教義に逃げ込んでしまうのがほとんどで、そうなると更にがんじがらめになって行く。
しかし、この女性はもしかしたら、ギリギリのところで踏みとどまっているのかもしれない。
そんな感じがした。

そこで、あえて言ってみた。

「あなた方が言うエホバ神は、人を救うのに選り好みをされるのですか?
 聖書に書いてあるという14万4千人しか救わないのですか?
 現在だけでも数十億人の人間がいます。
 時代を考えれば、数千億人の人間が生まれては死んで行っています。
 それなのに、なぜ14万4千人しか救われないのですか?
 あなたは、その14万4千人の1人として選ばれるために訪問伝道をして
 いるのですか?
 それでは自分さえ救われれば、後の人はどうなっても良いと言うのと同じ
 ではありませんか」

「いえ、それは違います。
 たとえ永遠の命が頂けなくても、エホバ神から忘れられることは
 ありません。
 時期が訪れれば、必ず復活させてくださいます」

「その根拠は?
 聖書にそう書いてあるから?
 それとも、勉強会でそう習ったから?
 もしかしたらあなたはその教義に納得してないのではないのかしら」

「いえ、私は、私は・・・・・」

「これは、私が人生の指針としているある書物の一部分を書きとめた
 ものです。
 冷静に考えて、あなた個人として納得のいかない内容が一つでも
 あったら、どうぞ破り捨ててください」

そう言って、天枝は便せんに次のことを書いて手渡した

――真理がいかに立派に思える内容でも、語る人がいかに立派な人でも、
   その内容に反撥を感じ、理性が納得しない時は、かまわず拒絶して
   ください。
   教え込まれ、大切にしてきた信仰を捨て去ることが容易でないことは
   私もよく承知しております。
   しかし、魂が真に自由になるには、理性が納得しないものは潔く捨て
   去ることが出来るようでなくてはなりません。
   人間には自由意志が与えられており、自分の責任において自由な選択
   が許されているからです。
   理性による検査と探求をなされば、かつては真実と思い込んでいた
   ものの多くが、何の根拠もないことがわかります。
   そうなれば、疑念の嵐が吹き荒れても、もう揺らぐことはありません。

便箋を彼女の目の前に置き、天枝は付け加えて行った。

「自分の理性が納得していないのに、無理やり自分に信じ込ませるのは
 賢明ではないと思います。
 あなたが信じたこと、あなたが実行することは、誰のせいでもなく、
 あなた自身がすることですから、
 自分の言動に責任を持つためにも、盲信は避けなければいけないと
 思います。
 それが本当の神のご意志ではないでしょうか。
 あなたが自分の理性に照らし合わせて、『この真理は信じられません』
 と素直に言った時に、もしも『それは信仰ではありません』と言われた
 なら、それは言った人の慢心、もしくは教義の誤り以外の何ものでも
 ないと思います。
 あなたなりの理性、あなたなりの良識をフルに使い、納得したことだけ
 を受け入れ、納得しないものを拒絶することであなたは自已開発され、
 成長するようになっているのです。
 『自由意志』は神から人間に与えられた最高のプレゼントだと思います。
 神を信じることも信じないこともどちらも選択できるし、聖書を信じる
 のも信じないのも、また、実行するのもしないのも、すべて自分の意志
 で選択できるからです。
 その自由意志を正しく行使するために、理性も授かってます。
 間違った教義を盲信し続けるのも、きちんと自分の理性で探求して吟味
 するのも、全て自由なのです。
 だから、その自由意志をフル活用することが、神への愛の証の一つだと
 思うのです。
 もちろん、今の私が言っていること、私が便せんに書いたことを、
 あなたの理性が受け付けないのなら、どうぞ破り捨ててください。
 あなたが宗教で学んできた教義に対して、もしも疑問や納得の行かない
 部分があるなら、すぐに捨てなさいとは言いません。
 むしろ、じっくり考えて、正しいと証明できるものに出会うまで、
 または、本当に納得するまで保留にされたら良いと思います。
 そして、正しいと確信したら、今の宗教をさらに納得のいくまで続け
 られたらいいでしょう。
 しかし、あなたが疑問に思っていたことが間違いであると確信したら、
 勇気を持って潔く離れるべきです。
 宗教から離れたからと言って天罰が下るわけではないし、神がお怒り
 になることはありませんから、心配は無用です。
 とにかく、ご自分の理性を使って考え、ご自分の意志で行動されるのが
 一番だと思います」

彼女は天枝が話すことを黙って聞いていた。
そして、彼女が聞いてきた。

「あなたが信じている教えは何ですか?」

「私は事実だと確信していることをお話ししているだけです。
 たとえば、あなたは自分が人間だということを信じますか?
 と聞いたら変でしょう。
 誰が何と言おうとあなたは人間ですから、信じることではなくなります。
 疑う余地がない事実なのですから。
 信じると言うのは、“疑っていない”、というだけであって、正しい
 ことの証明にはなりません。
 言い換えれば、信じると言うのは、まだ事実として確認していない段階
 になると思います。
 私はシルバーバーチの霊訓をよく読んでいます。
 自分の人生の指針にもしています。
 でも、書いてある内容全てを信じているわけではありません。
 書いてあることと、自分で体験して感じたことが一致したなら、確信が
 持てます。
 そうして確信を得た事実だけを受け入れているんです。
 確信に至っていないことはすべて保留です。」

天枝が話せば話すほど、彼女の顔は堅くなって行った。
もしかしたら、話し過ぎたのかもしれない。
真理に出会って間もない人、それも人間に惹かれて真理と出会った人には、多くを言えば心を頑なにしてしまうことがある。
いや、今の彼女は教義に縛られて、どうしていいかわからなくて戸惑っているのかもしれない。

天枝は妹に言って、きれいな色のハイビスカスティーを入れてもらった。
その鮮やかな色を見て、その人は急に涙をこぼし、あわてて涙を拭った。
そして、にっこり笑って、

「きれいな色ですね。
 ハイビスカスのお茶、初めてです」

彼女は一口飲んで、そろそろ行かないといけないと言った。
1台の車に数人で乗り合わせて来たので、集合に遅れると他の人に迷惑がかかると言って、天枝が書いた便箋を丁寧に折ってバッグに入れ、ペコリと頭を下げて帰って行った。

天枝の心の中には、モヤモヤだけが残った。
でも、きっと何がしか、彼女の心に残っているに違いない。
いや、残っていてほしい・・・
そう願い、祈るしかなかった。

☆     ☆     ☆

それから2週間ほど経ったある日、彼女がエテルナに来た。
天枝はホッとした気持ちと、もしかしたら再訪というやつなのかも、とも思った。
しかし、何だか以前と雰囲気が違う。
着ている服のせいかな。

彼女はハイビスカスティーを注文し、天枝と話したいと言った。

「この前はせっかくのお茶を残してしまい、すみませんでした。
 今日は、宗教とは別にして来ました。
 天枝さんに言われたことが頭から離れなくて・・・
 上の人に、天枝さんが話してくれたシルバーバーチのことを話した
 んです。
 すると、『あれは悪魔の書物だから絶対に読んではダメ』 と言われ
 ました。
 その理由を聞いたら、『キリスト教を否定しているから』 でした。
 どんなふうに否定しているのかと聞いたら、『とにかく、読んでは
 いけません』 と言われたんです。
 他の人にも聞いてみたけど、どの人も同じ答えなので、私としては
 不完全燃焼的な感じになってしまって。
 それで、天枝さんから直接聞いた方が早いと思って来ました。」

「あなたは賢明な方ですね。
 この前、ちょっと言い過ぎたかなと思って反省してたんです。
 シルバーバーチがキリスト教のことをどう説いているかですよね。
 シルバーバーチはイエス様を敬愛していらして、現在でもイエス様の
 グループの一員として働いているということです。
 こればかりは、私は確かめる術を持っていませんから、本からの受け
 売りですけどね。
 シルバーバーチの霊訓によると、イエス様は、キリスト教の間違った
 教義を盲信して縛られている人々を、その教義から解放してあげる
 ための活動をしていらっしゃるのだそうです。
 キリスト教というより、その教義と組織が問題なんです。
 クリスチャンたちはイエス様を敬愛しながら、イエス様の敵になって
 いるわけです。
 キリスト教のどこが間違っているかを冷静に吟味すれば、今のあなた
 なら、シルバーバーチは決して悪魔の手先ではなく、正当なことを
 言っていることに納得がいくと思います」

「シルバーバーチの霊訓を読んでみたいのですが、どうしたら手に入るか
 教えて下さい。」

「私のところに貸し出し用のが置いてありますから、良かったらそれを
 お持ちください。
 読んでみて、納得がいったならご自分で購入されたらいいと思います」

そう言って、天枝は第5巻を差し出した。
彼女は目次を見ると、目を輝かせて言った。

「さっそく読んでみたいので、このまま帰ります。」

そう言って、足早に帰って行った。

☆     ☆     ☆

それから2日ほどして、彼女が現れた。

「本屋に行ったら売っていたので、さっそく購入しました。
 それで、お借りしたのをお返ししようと思って。
 ありがとうございました」

彼女はそれだけ言って、貸した本と宗教の冊子とを置いて帰って行った。
冊子の中には付箋が貼ってあって、そこには「シルバーバーチの霊訓」に関することが数行書いてあった。
彼女はどういう意味で付箋を貼ったのだろう。
それがわかったのは、更に1週間たった時だった。

彼女が1人の女性と一緒にやって来た。
シルバーバーチの霊訓を否定的に読み、上の人を連れて、天枝を諭しにやって来たのだろうか。
とりあえず、話を聞いてみることにした。

この時初めて名前を知ったのだが、彼女の名前は「田中美知恵」さんで、一緒に来た人の名前は「高橋佐和」さんと言った。
美知恵さんが言うには、佐和さんは思っていることを包み隠さず話し合える人だと言う。
その佐和さんに天枝のこと、シルバーバーチの霊訓ことを話したら、今まで自分が思っていたことと同じだと言って賛同してくれたのだそうだ。
佐和さん自身、いくつもの疑問がどうやっても払拭できず、結局その疑問に蓋をし続けていたと言うのだ。
ところが、美知恵さんを通してシルバーバーチの話を聞き、自分で「シルバーバーチの霊訓」を買って読んだら、今まで蓋をしていた疑問が次から次へと払拭され、その宗教をやめる決心がついたと言う。
それで、ついさっき、2人してやめて来たと言った。

この時、なぜこの前来た時、美知恵さんが冊子に付箋を貼って置いて行ったのか、わかった気がした。
後に確かめたことだが、「こんなふうに偏って教えているんです」と言いたかったんだとか。

天枝は思い切って言ってみた。

「実は、ここで毎週土曜日の午前に読書会をやっているんですけど、
 良かったら一度参加してみませんか。
 来る人はそんなに多くはないけれど、和気藹々として楽しいですよ」

2人は顔を見合わせたが、美知恵さんの方が読書会に参加してみたいと言った。
その時の彼女の顔は、最初来た時とは違ってとても明るく、溌剌としているように感じた。



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