1995年は激動の年だった。1月17日の阪神淡路大震災ばかりでなく、3月20日の地下鉄サリン事件もあった。あの忌々しい事件の2日後、『生命の泉』が静さんからぼくに郵送されてきた。
この本は、静さんのご主人黒住さんからの霊界通信をまとめた活字本なのだが、実は、この前身に当たる『生命は永久に』という手書き本があった。ぼくは、その本も静さんから頂いていたのだが、表現が詩歌的な文語調、また内容が少々難解、その上、筆ペンの手書き文字ということもあり、一読したものの頭にほとんど残っていなかった。
それが、静さんの解説付きの活字本になった。難解な霊界通信を当事者の解説付きで読めるということは、たいへんラッキーである。静さんは序盤30ページで霊界通信への導入のための記述を加えてくれた。それは…
まえがき
生前のこと
死に至る三日前のできごと
霊示現象のはじまり
Yさん宅での霊現象
この30ページに描かれる状況設定によって、黒住さんの医師としての信念や人となり、霊界通信に関わった人々の人間関係やそれぞれの立ち位置がわかり、読み手の頭の中に具体的な像を結び、その後に続く霊界通信をより身近に感じながら読めるようになっている。
ここから1984年8月11日〜1986年12月16日の期間に届いた、58通の霊界通信が解説付きで紹介される。
終盤20ページの静さんの総括的な文章で締められている。
そして、最後に静さんの「あとがき」と蓮池恒夫さんという方の「あとがきに寄せて」という文章が添えられていた。静さんは、蓮池さんについて「はじめに」の中で触れている。
(『生命の泉』の「はじめに」より)
「夫からのメッセージがとりもつ御縁で親しくなった、瞑想指導をされている蓮池恒夫氏と奥様は、亡き夫のことに深い理解と厚意を寄せて下さり、この珍しい体験を通して教えられたことどもを冊子にまとめて、少しでも人々に役立たせるべきではないかと、再三私に勧めて下さるのでした」
瞑想指導という文字を見た瞬間、ぼくの脳裏に、広島のカレー屋のレジでぼくに『ある少女への手紙』を手渡してくれた男性の顔が浮かんだ。ぼくにとってのスピリチュアル物語の入口となったカレー屋『百番目のサル』、そこのご主人・蓮池さんもまた重要な登場人物の一人なのである。この人がいなかったらその後は違った展開になったのだろうと思う。
蓮池さんの勧めもあったが、静さんはそれまで、折りを見ては友人知人に話してきた。しかし、いつも奇異な目で見られ、興味や関心をもたれなかった、そんな苦い経験があったので、積極的に前に進めないでいた。そんな静さんに、『生命の泉』の発刊を決意させたものがあった、そのあたりのことを静さんはこう綴っている。
(『生命の泉』の「はじめに」より)
「しかし私の方は、以前のこともありますのでそれ程に気も乗らないまま、日を重ねておりました。ちょうどその頃私は、夫からのメッセージが引き金になって、21世紀のためのバイブルとも言われているシルバーバーチ霊訓や、ホワイトイーグル霊訓など世界的な霊界通信に心ひかれるようになり、その真実のひびきに魅せられ、座右の書として日々読みつづけておりました。そんな折も折、シルバーバーチ霊訓の中に次のような言葉があり、強く心を据えられたのです」
(「シルバーバーチの霊訓」より)
「そもそも何のためにこうして霊界から通信を送るのかという動機を理解していただかねばなりません。それはまず何よりも“愛”に発しているのです。肉親、知人、友人といった、かつて地上で知り合った人から送られてくるものであろうと、私のように人類のためを思う先輩霊からのものであろうと、霊的メッセージを送るという行為を動機づけているものは“愛”なのです。愛こそがすべての鍵です。たとえ完全でなくても、何らかの交信があるということは、何もないよりは大切です。なぜなら、それが“愛”の発現の場を提供しているからです」
静さんはシルバーバーチのこの言葉に、ハッとして、ご主人がどんな気持ちで通信を送ってくれたのか、その思いが痛い程伝わってきたと言う。その言葉に背中を押され、静さんは『生命の泉』の発刊を決意したのである。
その本が完成して、16年経ったいまも、ぼくの手の中にある。
ひとりの人間が決意したことが現実に形になり、周波数をともなって伝播していく。そういったことのひとつひとつが複合的に連鎖して絶妙のタイミングで、さらに大きなものごとを前に進める。
それは、ひとつのシンプルな法則のもとで一分の狂いもなく進んでいく「必然」かもしれない。
(つづく)
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