ぼくの地球を守って(地球滅亡)


「ぼくの地球を守って」というタイトルなのに、なぜか全く地球を守っていない本作品ですが、もしかして小林輪の凶悪犯罪から地球を守ってくれという、意味深長なタイトルだったのでしょうか?



それはともかく、個人的には小林輪の危険思想に対して、作中の大人が誰もその危険性を本人に指摘していない所が、とても気になりました。

これは「DEATH NOTE」にも言える事ですが、力を力で抑え込むという擬似的な平和の世の中は、実は戦争の絶えない世の中よりも遥かに「地獄」であるという事実と、力による勝利は必ず力により破綻をきたす物であるという事実を、私はそろそろ子供達にもきちんと教えるべきであると考えています。



そもそも、地球が学びの場としてある以上、地球を平和にするのは我々一人一人の利他行為によってのみ成されなければ意味が無い訳で、進化した霊や地球外生命体の誰かに代わりに平和にして貰っても、それは夏休みの宿題を全て親や親戚にやって貰うような物なので、わざわざ受肉までしてこの辛い物質界に学びに来た意味が全く無くなってしまう訳なのです。



「そんな事言っても、地球が滅んでしまっては意味ないじゃん!」



と言われる方へ!



地球は滅びません!



地上の人間には、最初からそこまでの力は与えられていません。

とは言っても、それはあくまでも地球が破壊されないという事であって、人類の大半がこのまま利己的な生活を続ければ、自然界からの報復があるのは確かな事ですが…



次に、続編である「ボクを包む月の光」から、個霊の転生について。

人の個霊は一度創造主である大霊から分霊すると、永遠に個体の状態を保つので、個霊が他の霊と合体したり(類魂は霊同士の合体ではない)、分裂したりという事は絶対に起こりません。

つまり、紫苑と小林輪の霊が分裂したり、木蓮と小林(旧姓:坂口)亜梨子の霊が分裂したりする事は、フィクションの世界では可能でも、現実ではありえないという事です。(もちろんイメージやインナースペース内では可能ですが、それは昔撮ったビデオを本人が見るような物なので、それを分裂とは呼ばないでしょう。)



ぼくの地球を守ってとは



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霊的故郷