ぼくのスピリチュアル物語 08 「天使たち」


(月刊「公論」1991年11月号より)
『一度に多くの人が、五二〇人もの人が同時に生命を失った移行は、こちらの界での働きは大変なものである。一人一人の霊の救済と働きにおいて、たしかに天使たちが昇り降りする。しきりに昇り降りする。現象感覚は事実である。これも設定であってどうしようもない。こうした事があって、光を知るものである』

少々難解な表現を含んでいるが、あちらの世界において天使たちが一人一人の霊の救済のために頻繁に昇り降りして大騒ぎになっている状況が思い浮かぶ。その光景は、ぼくには戦場で負傷した兵士の手当てをする赤十字の医師や看護師、あるいは牧師、僧侶たちの働きのように思えた。その天使たちとは、ぼくたち人間をケアする働きを役目とする存在なのだろうと思った。

こういった一度にたくさんの死者が出るような事態は、あちらの世界でもまた緊急事態なのだろうと思う。この墜落事故も大惨事であるが、その後に起きた1995年阪神淡路大震災、2001年アメリカ同時多発テロ、2004年スマトラ沖地震、2005年JR福知山線脱線事故、そして三ヶ月前に起き、まだ尚その渦中ともいえる東日本大震災。これらもまた、もっともっとたくさんのレスキュー天使たちが霊の救済に奔走したのだろうか。

話を霊界通信に戻そう。

気になるのは、『これも設定であってどうしようもない』という一文である。『設定』という文字が『運命』とも『宿命』とも見える。事故や災害が予定された『設定』だというのか。そこで犠牲になった人々が、決められた同じ『宿命』だったとはどうしても思えないのである。

その疑問は、現在もまだぼくの中で解決はしていない。やがて、解決する日がやってくるのだろうか。この世を去った瞬間に理解できるのかも知れない。

静さんを取材した月刊「公論」の記事は、11月号より3回にわたって連載されるということだった。次は雑誌の発行を待たなければならない。

それにしてもなぜ、日航機墜落事故の犠牲者の奥さんである河口慶子さん(神奈川県在住)が、静さん(広島県在住)のつくった霊界通信の冊子を所有していたのだろうか。ぼくは、この『瞑想するコペルニクス』シリーズの前3号のバックナンバーを読んでみたいと思い立った。

静さんに電話したが、静さんは自分の分の記事しか持っていないということだった。そのかわり、取材に来たルポライター平野勝巳さんの連絡先を教えてくれた。

(つづく)



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