御感想 1〜10


■御感想目次(下記をクリックすると、各項目に素早く移動出来ます。)

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1

■御感想

サイト拝見させて頂きました

とても気になっているのは、あまりにもフランク過ぎて読まれる方が間違って理解される方も中にはいるのではないかと言うことです。
例えばナザレのイエスが霊的真理を伝えた事を
人間自らの考えで曲がった方向に行ってしまった
(霊的真理がプロテスタントやカトリックなど間違った考えに枝分かれしてしまった現状など)
ゲームやアニメに例えてしまうと真実味がないように感じます。
霊的真理はゲームやアニメに例えなくとも伝わると思います。

不愉快な思いをさせてしまわれたら、大変申し訳ありません。が決して批判をしている訳ではありません
間違った方向に行ってしまわれる方もいるのではないかと心配をしているだけなのです。



■生人不知

この度はサイトの御感想をお送り頂き、ありがとうございます。



> ゲームやアニメに例えてしまうと真実味がないように感じます。
> 霊的真理はゲームやアニメに例えなくとも伝わると思います。



私は「霊的真理」を伝えるサイトは、「基本的」には「スピリチュアリズム・ブックス」さんがあれば十分であると考えています。(ですので、私のサイトでも「スピリチュアリズム・ブックス」さんのサイトを御紹介している訳です。)

しかし、私が一番危惧しているのは、「霊的真理」を伝えるサイトはどれも堅苦しく、宗教っぽい作りになっているサイトが多い為に、例え一般の方が見に来られても、

「うわっ、宗教のサイトかよ、キモッ!」

とか、

「難しそうで読む気がしない…」

等の、せっかく見に来て頂いたのにそのまま帰ってしまう方がいる事で、その人達を何とか別の方法で留まらせる事は出来ないか?

という発想の元に作成したのが、私のサイトなのです。



「霊的真理」はゲームやアニメに例えなくとももちろん伝わりますが、本当の「真理」なら、例えゲームやアニメに例えても伝わるはずですし、そういう方法でしか伝わらない人達も世の中にはいるのではないか、という事です。

つまり私は、「霊的真理」をより多くの方に伝える為に、なりふり構っていられない訳なのです。



私はむしろ、「霊的真理」への誘導の為には、ゲームやアニメだけではなく、スポーツで例えるサイト、恋愛で例えるサイト、音楽で例えるサイト、お笑いで例えるサイト等と、「別の方法で留まらせる」事が出来る物なら、どんなものでも採用するべきなのではないかと考えています。

もちろん、だからと言って、皆さんが私の考え方に同調して下さる必要は全くありませんが、私はこういった考え方でサイトを運営しているという事だけは、御理解を頂ければと思います。



それと、フランクな事が良くないというお考えのようですが、ナザレのイエスは人を笑わせる事が大好きで、平気で人に冗談をいったりする、かなりフランクな人だったそうです。

それは、庶民などの一般人の場合、堅苦しい雰囲気よりも、楽しい雰囲気の方が、人々が自分の話を聞いてくれる事を知っていたからです。



次に、私が「わざと」アニメやゲームのタイトルをサイトに書いている理由に、SEO対策があります。

SEO対策につきましては、以下のページに詳しく書いてありますので、よろしければこちらも御覧になってみて下さい。



SEO対策
http://www.reitekifurusato.net/m/18/20090809.html



最近(2009年11月)は、「デスノート」の検索からサイトに訪れる方が急増しています。

もしよろしければ、Googleで「デスノート 死刑制度」という2つの言葉で検索をしてみて下さい。

日によって順位の変動はありますが、現在は検索第1位に私のサイトがヒットしています。

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2

■御感想

> 私がサイトや日記でよく「ドラゴンクエスト」の話を持ち出すのは、RPG(ロールプレイングゲーム)の「概念」が「霊的真理」のいろいろな「概念」を説明するのに最適だからという、純粋に「利便性」の問題からであって、決してサイトを面白くする為とか、ふざけ半分とかでやってい訳ではないのです。



本当にその通りだと思います。ピッタリだと思いますよ。

これ以上ないくらい分かりやすくピッタリな表現かと思います。

私も機会がありましたら活用させて頂きます。



でもおもしろいものですね。

私もドラゴンクエストをして遊んだ経験があるのですが

そのドラゴンクエスト(ロールプレイング)をして

遊んだ経験が今になって本当の意味で生きる!

霊的真理を上手に教えてあげるための極めて有効な手段となる

わけですから・・・・おもしろいものです。



「生人不知」さんのことは結構な熟練的な印象をもっています。

スピリチュアリズム的にも、他思想的にも、色々な多面で知識的にも

とても優れているという印象を持っています。

また、自信の理性的判断と、知識的理念をシッカリと持っていて、

とても自立している印象があります。

しかし、それでいて、こうした「霊的経験値」とかの、

社会的庶民にもとても分かりやすい表現に気づくほどの

柔軟さとを持ち合わせているということで、

私の方でもとても紹介したくなりました。

例えばですが、こうしたデジタル世界では、

ゲームとか大好きな方は沢山いらっしゃると思うのです。

そうした方に対しても、生人不知さんは、

とても上手な霊的影響力になってあげられそうな印象だからです。



■生人不知

こちらの方は私の「真意」を御理解頂けていらっしゃるようで、大変嬉しく思います。

「ドラゴンクエスト」などのRPG(ロールプレイングゲーム)を一度でもプレイした事のある方でしたら、「霊的経験値」という言葉は、利他行為による霊的成長の概念を説明するのに、とても分かりやすい言葉なのではないかと思っています。

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3

■御感想

私は2年ほど前、煙草を止めたときに『禁煙セラピー・イラスト版』という
長年のベストセラー本を本屋で買ってきて読んだのですが、
それがまたすごく読みやすくて、イラストも面白く、
おかげで止められたのを覚えていますが、
そのときに、もし霊的真理の関係でこういう本があったら
面白いだろうな、と感じたのを覚えていて、
それが何故か霊的故郷とダブってしまいます。



禁煙セラピー イラスト版
http://www.amazon.co.jp/dp/4845407809/



興味がありましたら是非読んでみてください。



■生人不知

「禁煙セラピー イラスト版」読ませて頂きました。

確かに私の文章表現と、少し似ている感じがしました。

私も当初、この本のように、サイトの文章の中に小さなイラストを入れようかとも考えていましたので、もしそうしていたら、今よりももっとこの本に似たものになっていたかもしれませんw

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4

■御感想

まだ半分ぐらいですが、じっくりサイトを拝見させていただきました。

トップページで、100時間というのは100年、洞窟というのは地上を喩えているんですよね。
霊界から地上に生まれて来る様子、最初から楽しく読ませていただきました。

中身は、どれもこれも、共感できるところばかりです。
類魂の説明は意外な説明のしかただったので、ちょっと驚きました。
そして、動物虐待、肉食のところは涙が出てきました。

ちなみに、私はまったく肉食をしません。
できないのです。

ところが、以前は肉が大好きだったんです。
なぜ肉食ができなくなくなったのかというと、きっかけは高速道路を走っていた時に見た牛の目でした。
黒檀のようにきれいで大きな黒い目を見た時、言葉にできないほどの思いが湧き上がってきました。
この牛は食べられるために今運ばれている、そう思うととても辛かったです。
牛にだって感情があります。
決して、食べられることを目的として生まれてきたのではないはず。

その後、ペットとして小鳥を飼い始めました。
すると、鶏肉も食べられなくなりました。

可愛がれば可愛がるほど心を寄せてくるのは、犬も猫も鳥も同じです。
ならば、牛も豚も鶏も馬も、可愛がれば心を寄せてくれる存在です。
なのに、自分で手塩にかけて育てた牛や豚を、どうして肉にするために売れるのでしょうか。
もしかしたら、お金のために自分の心を殺しているのでしょうか。
どちらにしても、私には売る人の気持ちが分かりません。

生人不知さんと同じで、私も肉食をしている人を非難はしません。
スーパーで当たり前に売られているんですから、肉食の是非を考えたことがない人が買って食べるのは当たり前だと思うからです。

ライオンやオオカミは肉を食べないと生きてはいけません。
でも、人間は肉を食べなくても生きていけます。
人種学上から見ても、日本人は肉を食べるのには適してないと言われています。
日本人のDNAの中に肉食はないとも言われています。
肉食が人間の身体に良くない理由も、栄養学上からはっきりしてきました。
それなのに、肉食が習慣化されたことによって、生活習慣病で苦しむ人が多くなりました。
もちろん、肉食をしている人全部が生活習慣病になるわけではありませんが。

このサイトを読むことによって、肉食に限らず、霊的なことに興味を持ち、理解し、1人でも多くの人の魂の成長が促されるといいですね。
それこそ、すばらしい霊的な仕事だと思います。
このサイトが更に充実していかれることを切に願います。

残り半分、またじっくり読ませていただきます。



■生人不知

トップページの例え話の説明は、「ドラゴンクエスト(利他行為)」のページに詳しく書いてありますので、よろしければそちらも御覧になってみて下さい。



ドラゴンクエスト(利他行為)
http://www.reitekifurusato.net/m/14/007.html



肉食に関しては、実は私は子供の頃から、動物だけではなく植物も含め、人が生物を食べないと生きられない事にとても罪悪感を感じていて、どうして人は無機物、つまり水と塩だけでは生きられないのかと、随分悩んだものでした。

それは、世の中には植物にも感情があるという説もあって、植物が人間に食べられるのがイヤなのかどうかがハッキリわからなかったからです。

しかし、正しい霊知識により、植物には動物のような感情は無いとハッキリ悟った今は、心から安心して、植物を食べられるようになりました。

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5

■御感想

自害も視野に入れつつ生きてきましたが
あなたのサイトのお陰で選択肢が減りました



■生人不知

このサイトを御覧頂いた事で、自殺を思い留まって下さる方がいらっしゃるのであれば、これ程嬉しい事はありません。

この度は御感想をお送り頂き、本当にありがとうございました。

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6

■御感想

サイトの方を読ませ頂きました。
その中で圭角という言葉が印象に残りました。
それと 霊的真理に適った生き方という四か条はその通りであると
思いました。
そして なにより「あの世」に希望が待てました。



■生人不知

> その中で圭角という言葉が印象に残りました。

そうなのです。

物質界での私達の意識は、あくまでも私達の意識の中の「圭角」に過ぎないのです。

ただし、「圭角を削る」とはあくまでも比喩表現であって、決して「無我の境地」になるとか「クリーニング」をするとかいう意味で書いた訳ではありません。

> それと 霊的真理に適った生き方という四か条はその通りであると思いました。

霊的真理に適った生き方四か条とは、



・質素を旨とし、奉仕に生きる

・常に控えめで、謙虚な心

・常にありがたく、感謝の心

・動物は決して食べない



こちらの事を言っているのだと思いますが、皆さんサイトには来て頂いても、このページまで読んで下さる方は少ないので、とてもありがたく思っています。

> いろいろ 勉強したいと思っております。

はい、これからも是非、「霊的真理」の勉強に励んでいって下さい。



■御感想

霊的真理に適った生き方四か条で思い出しましたのは

現代人の処方箋・・・心霊学に学ぶ
 M・H・テスター著
 近藤千雄訳

という本の訳者あとがきに書かれてある
 「あなたの人生を変える心構え五箇条」というものです。

一、今日一日のことだけを考えて生きる
二、今日一日を良い日にしようと心掛ける
三、会う人ごとに親切を心掛ける
四、今日一日に一歩だけ向上しようと心掛ける
五、一日二度、瞑想(精神統一)の時をもつ

霊界は本当の意味で 大人の世界のようですね
この世でも 責任と義務を果たしたいものです。



■生人不知

この心構え五箇条の

> 四、今日一日に一歩だけ向上しようと心掛ける

は、正にその通りだと思います。

1日に上げられる「霊的経験値」の数値はせいぜい1EXP(Experience point)が限度で、1日に10EXPも100EXPも上げる事は、絶対に不可能なのです。

一度の地上人生で「霊レベル」が1つ上がれば、その人生は大成功だったと言えるでしょう。



【追伸】
■「霊的真理に適った生き方四か条」とは、元々は私が「昔の日本人の特徴」としてサイトに書いたものです。

全文は以下のページにありますので、まだ御覧になっていない方がいらっしゃいましたら、是非この機会に御覧になってみて下さい。



異国迷路のクロワーゼ(進化霊)
http://www.reitekifurusato.net/m/14/013.html

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7

■御感想

奉仕活動という箇所を読んで
相手に悪口を言う事ー身体に癌細胞が出来る
とうのは 言う人の方ではなく言われた人のほうが辛い気持ちを我慢したりして出来るのだと思っていました。

霊的真理を学ぶということは
対人間関係というより自分の魂を日々の出来事からいかに精錬させていくことに尽きるのではないか・・・との思いを強くしました。



■生人不知

> 相手に悪口を言う事ー身体に癌細胞が出来る
> とうのは 言う人の方ではなく言われた人のほうが辛い気持ちを我慢したりして出来るのだと思っていました。

悪口を言われた側も、相手から「悪い思考」で攻撃をされている訳ですから、当然言われ続ければ確かに健康を害する事になりますが、それは我慢をするから健康を害する事になるのではなく、むしろ我慢をした方が被害が少なく抑えられるのです。

そもそも人間の思考は、良い思考も悪い思考も、幽界では全て実態のある「物質」であり、この「思考の物質」の事を、ダスカロスは「エレメンタル」と呼んでいるのですが、この「エレメンタル」は、人間が考えを発した時に出現し、誰かにぶつかった後、7倍の力になって跳ね返って来ます。

例えば、ここにAとBという人がいて、AがBに悪口を言った場合、その悪口はBを攻撃した後、跳ね返った「エレメンタル」は7倍になって、Aを攻撃します。

ここでBが反論してしまうと、Aを7倍の力で攻撃した「エレメンタル」が、跳ね返って49倍の力でBを攻撃します。

ここでさらにAが反論すると、Bを49倍の力で攻撃した「エレメンタル」が、跳ね返って343倍の力でAを攻撃します。

つまり、どちらかがこの悪口の言い合いを我慢して辞めない限り、この「悪いエレメンタル」は「憎しみの連鎖」でどんどん成長していき、結果として、2人共癌や心の病気などの、いろいろな病気になってしまう事になるのです。

ちなみに、この「悪いエレメンタル」にどれだけ攻撃力(毒素)があるのかと言うと、憎しみで「バカヤロー!」と言った時の息を袋に集めて金魚鉢に入れると、中の金魚が全て一瞬で死んでしまう位、凄い力があるのです。(当然、人間にも癌細胞が出来てしまう訳です。)

しかし、この「エレメンタル」は、「愛」などの「良いエレメンタル」を発すると、相手を幸せにした後、跳ね返った「エレメンタル」は7倍の力であなたを幸せにしますので、普段から出来る限り「良いエレメンタル」を出すよう心掛けると、あなたも周りの人達も皆幸せにする事が出来るのです。

相手に悪口を言われた時は言い返すのではなく、最初は難しいかもしれませんが、出来る限り「愛」の思考を返すよう心掛けましょう。

それともう1つ、このエレメンタルがどれだけ相手に影響を与えるのかも、「その人の霊レベルによる自由意志の行使範囲」と関係がある為、霊レベルが低い人の言う「悪口」はあまり攻撃力が無いのに対し、霊レベルが高い人は、その高さの分だけ相手により多くの攻撃をする事になってしまいます。

この様に、霊レベルは上がれば上がる程、人類に与える影響力も増していきますので、その責任も重くなっていくという訳です。



■御感想

「憎しみの連鎖」とは 恐ろしいものなんですね・・・

その連鎖を断たないと 地球上は 悪の住みかで一杯になってしまいますね。癌や心の病気はむろんの事で事件・事故・災害・天変地異もそういう波動を受けて起こっているのでしょうか?

単純な疑問ですが
霊レベルの高い人は悪口を言ったり攻撃をしたりするのでしょうか?
そういう霊格の高い人はあの世にいてこの世ではせいぜい霊レベルの高い・低いの差でしかないと言う事なのでしょうか?



■生人不知

> 「憎しみの連鎖」とは 恐ろしいものなんですね・・・

アメリカの「9・11テロ」(アメリカ同時多発テロ事件)は、正にこの「憎しみの連鎖」が起こった為に引き起こされた事件ですが、天変地異に関しましては、もっと複雑な事情が絡み合って起こっているようです。

> 霊レベルの高い人は悪口を言ったり攻撃をしたりするのでしょうか?

これはあくまでも相対的な話であり、霊レベルが上がっていけば、当然人に「悪口」を言う回数も徐々に減ってはいきますが、別にいきなり0になる訳ではありません。

例えばシルバーバーチのレベルまで霊レベルが上がれば、決してもう人の「悪口」は言わなくなりますが、そこに至るまでには、あくまでも少しずつ「悪口」を言う回数が減っていく訳なのです。(「霊格」と「霊レベル」は全く同じ意味です。)

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8

■御感想

「あの世に」
大変頭が良く博学で質問には一秒と空けず完璧な返答が出来、常に優しく公平であり絶対に人の悪口を言わず、大変尊敬出来るのにもかかわらず決して驕り高ぶらないとても謙虚な人達が何百億人といたのだ・・・
ということに 「希望」を持ちました。



■生人不知

そうなのです。

「霊的な大人」は「あの世」にいるのであって、「この世」の人間は、どんな政治家でも医者でも弁護士でも、哲学者でも思想家でも教祖でも、地上に誕生している以上は、皆「霊的な幼稚園児」や「小学生」に過ぎませんので、その「事実」は絶対に誤解をしてはいけないです。

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9

■御感想

サイトに掲載している御感想1を拝見いたしました。

御感想1の方の御意見も理解できるのですが・・・ただ、この方は一般的な「霊的真理の普及(死後の世界への興味&霊的真理への誘導)」と「霊の道具/霊性開発(スピリチュアリスト)の強化・育成ならびに霊的能力の開発・育成」とを混同しているのではないかと思います。



――「一人でも多くの人に真理を届けるべきであるとおっしゃいました。そのこと自体に反論する者はいないと思うのですが、数が多くなりすぎると腐敗ないし墜落する傾向も懸念されます。手を差しのべる相手を選択するということも必要ではないでしょうか」

霊界側の観点から申し上げれば、皆さんは一人でも多くの人々に基本的なメッセージとその真実性の証を提供してあげるべきです。大霊の子には分け隔てなく霊的真理を手にする機会を用意してあげるべきです。これは掛けがえのない神の恩寵であり、全人生の指導原理となるべき貴重な宝です。その好機に遭遇して、それを受け入れるか拒否するか、それはその人の責任において判断すべきことであって、あなたの気遣いは無用です。

あなたのおっしゃる“相手を選ぶ”ということの趣旨はよく分かりますが、それはむしろ、すでに基本的真理を手にした人々、霊性開発へ向けての準備が整った人々を対象とした時に、さらに高度な霊的レベルとの交流を目指す上で、果たしてそれだけの力量があるか否かを判定する時に問題とすべきことです。私が申し上げているのは、霊的な真理について何も知らずにいる人を対象とした時のことで、これは相手を選ぶべきではありません」

「シルバーバーチ最後の啓示」 P167〜P168より



――「このようにシルバーバーチは単純な霊的真理を説いているだけだと主張し、理屈っぽい問題には答えたがらない。その理由は――」

難解な問題を回避したいからではありません。私は今すぐ応用のきく実用的な情報をお届けすることに目標をしぼっているからです。基本の基本すら知らない大勢の人々、真理の初歩すら知らない人が大勢ることを思うと、もっと後になってからでも良さそうな難解な理屈を捏ねまわすのは賢明とは思えません。

今日もっとも必要なのは簡単な基本的真理――墓場の向こうにも生活があること、人間は決して孤独な存在ではなく、見捨てられることもないこと、宇宙のすみずみにまで神の愛の温もりをもった慈悲ぶかい力が行きわたっていて、一人一人に導きを与えていること、それだけです。これは人間のすべてが知っておくべきことです。また誰にでも手に入れることのできる掛けがえのない財産なのです。そうした基本的な真理さえ知らない人間が何百万、何千万、いや何億といる以上、われわれはまず第一にその人たちのことから考えようではありませんか。それがわれわれにとって最も大切な義務だと思うのです。

「シルバーバーチの霊訓〈3〉」 P68より



知識に制約を加えようともくろむ人種とは縁をお切りになることです。知識は自由に広められるべきです。

「シルバーバーチの霊訓〈3〉」 P121より



画像的な表現や文章的な表現は“一つの手段”です。大切なことはその先にあるものです。何に誘導してあげようとしているのかです。人々の前に用意してあげたその扉を開けて、その道を歩いて行くと、何処に辿りつくのかが重要です。

その方の“一つの角度”から受ける“一つの印象・気持ち”も分かります。とても真面目な方だと思い好感が持てます。でも・・・生人不知さんは「江原啓之」や「美輪氏(女子?)」や「ニューエイジー関連」や「神智学」その他の哲学や思想に人々を誘導しようとしているわけではないこと、フランクな活字的表現を綴っているときの“気持ち(心情)”はとても“真面目で真剣”であること、あれこれと悩みながら一生懸命に(真理普及に)向き合っている結果、今の最良の表現手段を見出していること、その方も理解してくれればと思います。

「霊訓」とか「真理」とか、たった“一つの文字”が目に入っただけで「スルー」してしまう人々も沢山いるわけです。ですので、色々な個性・気性に適切な表現方法のサイトがあって良いものと思いますし、その人たちにとっては利他的であり、寛容的であり、最善であると思います。大切なことは先にあるものです。人々を何に向かわせようとしているかです。

真理を普及される人も、霊性レベルも違いますし、現在に至るまでの人生背景(人生環境・事情)の違いますし、個性や気性も違います。

真理を普及する人も、それぞれのポジション・適材適所の中で知恵を振り絞って最善を尽くせば良いと思いますし、大切なことは大霊と霊界との協調と調和、志の一致です。動機・目的も、その手段(表現方法)も間違っていないと思いますよ。

因みに私も画像的表現をかなり工夫していますが“切なくなる”ときがあります。もっと立派な感じにしたいとか、真剣さの雰囲気の漂う表現にしたいとか、けどなんとなく自分のポジションを感じるのです。私の表現を必要としている人々にとっては最良の「黄金の扉」であると思っています。



■生人不知

「御感想 1」に対しての御感想ありがとうございます。

> 私が申し上げているのは、霊的な真理について何も知らずにいる人を対象とした時のことで、これは相手を選ぶべきではありません

今の地球は、この基本的な「霊的真理」すら知らない方々が大勢おり、受け入れる準備が整っているのにもかかわらず、「霊的真理」に出会えずに亡くなって行く方も沢山いらっしゃるのではないかと思いますので、私も更なる「霊的真理」の普及に努めなければならないと、決意を新たにしている所です。

> 私の表現を必要としている人々にとっては最良の「黄金の扉」であると思っています。

私も、私の表現方法を必要として下さっている人々にとって、最良の「黄金の扉」となれるよう、頑張りたいと思います。

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10

■御感想

初めまして。
私は岐阜県に住む46歳の公務員です。
あなたの霊的真理についての解説を拝見させていただき大変驚きました。と申しますのは、他に見られない程の的確な分析と柔軟な思考をお持ちだからです。世にスピリチュアリストを自認されている方々の多くに、どうしても頑なさや偏りを感じていたからです。私は、江原啓之さんを支持していますが、もちろん彼の考えにも多少の疑問がありましたので、あなたから教えていただいた霊的理論は私にとって大きな収穫であります。ありがとうございます。



■生人不知

御指摘の「頑なさや偏り」が、具体的に何を指しているのかは分かりませんが、その理由の1つは、もしかしたらスピリチュアリストによる他人への批判なのかもしれません。

私は「江原啓之氏について」のページの中で、



> 私はサイトの中で「シルバーバーチ」に倣い、間違った思想や罪は罪としてきちんと批判はするが、それが個人の批判には繋がらないよう注意する、という方法を取っています。



と書きました通り、個人に対する批判は決して行いませんが、これが個人の見解の問題では無く、明らかな誤解や間違いであると思った場合には、その部分の指摘はしています。

この「個人の批判」と「間違いや誤解の指摘」の一番の違いは、そこに「自分は絶対的に正しいのだ」という思い込みによる「怒りの感情」や「相手を馬鹿にしたような態度」等の利己的な動機があるのかないのかであり、これがあるのが「個人の批判」であり、これらの動機が一切無い、利他的な動機を元とした謙虚な姿勢での指摘が「間違いや誤解の指摘」なのだと思います。

また、「2. 『ニューエイジ思想』、『ワンネス思想』の問題点について」のページの中の「ハンカチ」の例で書きました通り、私の指摘が間違っている場合ももちろんありますので、その場合も常に謙虚な姿勢を忘れないようにしなければならないと、肝に銘じております。



ハンカチの例

・相手がハンカチを落としたと思った場合は、それを指摘する

・しかし相手が、「それは私の落としたハンカチでは無い」と言った場合は、それ以上の指摘は避ける



なお、私の解説を良いと思って頂けたのでしたら、もし出来ましたらこのサイトを他の方にも御紹介して頂ければと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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