ちょっとスピリチュアルな短編小説 Vol.32 「密かな楽しみ」


つい先ほど、放火未遂で一人の少年が逮捕された。
友人の家に火をつけようとしたところを、通りかかった人に見つかり、警察に通報されたのちに逮捕されたのだ。
未成年である上に初犯、更に未遂に終わったということもあり、この交番の警官の温情で、両親が迎えに来たら帰される手はずになっている。

その少年の名前はマサル。
現在中学3年生。
捕まった恐さなのか、初めての犯罪を後悔しているのか、青い顔をして派出所の奥の部屋の隅に座っている。
見たところ、不良の雰囲気は微塵もない。
それどころか、とても真面目で、犯罪など犯すような子供には見えない。

「こんな子が・・・なぜ、どうして・・・」

警察官は腰をかがめ、ゆっくりと優しく話しかけた。

「君はまだ中学生だろ。
 今お父さんとお母さんが迎えに来るけど、その前にいろいろ聞いて
 おきたいことがあるんだ。
 答えてくれるね。
 どうして火をつけようとしたんだ?」

マサルは少しだけ顔をあげ、小さな声で言った。
「仕返しがしたかった」と。
しかし、それだけ言うとまた顔を膝に埋めてしまい、それ以上は話したがらなかった。

しばらくすると、両親が来た。
母親は血の気が失せ、父親に肩を抱きかかえられてやっと歩いてきたという感じだ。
警察官は両親に聞いてみた。

「見たところ真面目そうに見えるのですが、家ではどんなお子さん
 なんですか?」

「マサルは小さい頃からとても良い子で、勉強もできるし、家の手伝い
 もよくする子です。
 反抗することもなく、本当に素直で良い子なんです。
 私たちの誕生日には、毎年必ず小遣いの中からプレゼントを買って
 くれる優しい子なんです。
 担任の先生も、本当に良い子だと言ってくれてます。
 そんなマサルがなぜ・・・
 私たちはショックで気がおかしくなりそうです」

未成年が犯罪を犯す場合、その大半は予兆がある。
教師や親への反抗、友達とのトラブルなどの予兆があり、警察沙汰にまで行った時には、誰もが「やっぱり」という言い方をする。
ところが、マサルの場合は、回りから見て何一つとして予兆がなかった。

とりあえず、両親が迎えに来たからにはマサルを返さなければいけない。
警察官はマサルを奥の部屋から連れて来た。
わが子の顔を見た時、母親は泣き出し、父親は拳をぎゅっと握りしめた。
当のマサルは唇をかんで下を向いたままで、両親の顔を見ようとしない。

警察官はマサルの気持ちを察し、両親を待たせたままもう一度奥の部屋に連れて行った。
2人は向かい合って座り、そこで、改めて経緯を聞くことにした。
両親が迎えに来たことで少しは不安な思いが取れたのか、このままではいけないと思ったのか、ポツリポツリと話し出した。

「僕は・・・小さい頃から頭が良いと言われて、そんなに勉強を
 しなくても良い成績が取れてました。
 運動も得意だったし、お母さんの手伝いをするのも好きでした。
 だから、両親にとっては自慢の息子だったと思います。
 僕もそう見られるのが嬉しかったし。
 今まで、両親から褒められたことはあっても、叱られたことは
 ないです。」

そんなところから話が始まった。
そして、今まで誰も知らなかった一面を自分で話し始めた。

良い子にしているといつも母親が褒めてくれるので、もっと褒めてほしくてお手伝いをしたリ、勉強をしたりしたという。
ところが、小学校に入った頃、両親が大喧嘩をして、母親がその鬱憤をマサルにぶつけてしまったことがある。
何が原因だったのか幼いマサルには知る由もないが、母親が泣いているので、マサルは心配して声をかけた。

「お母さん、どうしたの? だいじょうぶ?」

ところが母親は、

「うるさいわね、あっちに行ってて!」 と言って、また泣き出した。

それまでの母親は、マサルが間違ったことをすると、なぜ間違っているのかを優しく教えてくれたし、決して怒鳴ったり怒ったりはしなかった。
ところがこの日は、自分は何も悪いことをしていないのに怒鳴られたのだ。
それに「あっちに行ってて!」と突き放された。

初めての母親の態度に、その日の夜は、心が重くて苦しくて眠れなかった。
何度も寝返りを打ったが、寝られなくて、余計に母親の言葉が心を圧迫した。
喉が渇いたのでフラフラと台所に行くと、テーブルの上に母親の財布が置いてあるのに気が付いた。
きっと、しまい忘れたのだろう。
その時、自分でもなぜかは忘れたが、その財布を少し高いところにあるレンジの上に置いたという。

翌朝のことだった。
台所に行くと、母親が財布を探していたが、なかなか見つからないようで、困っていた。
母親が困っている様子をしばらく見ていたら、なぜか昨夜の重苦しさが吹き飛んだ。
そこで、「レンジの上にあるのって財布じゃないの?」と言うと、母親は、財布が見つかったと言って大喜びをした。

「私はレンジの上に財布を置く習慣なんてないんだけどなあ・・・
 ま、いっか」

母親は怪訝な顔をして首をかしげていたが、マサルの心から重苦しさが取れ、逆に小躍りしたい気分になった。

また、ある日の4時間目の授業中のことだった。
隣に座っている子がマサルに言った。

「おい、ここが真ん中だから、こっちに来るなよ。
 この線から出たら承知しないぞ」

その子は誰に対しても粗暴なふるまいをする子で、嫌われ者だった。
それを知っていたので気を付けていたが、突然その子が肘でマサルを強く突いてきた。
マサルは何がなんだかわからない。
その授業が終わり、先生が教室を出て行くと隣の子が荒々しく叫んだ。

「おい、ここから出るなって言っただろ!」
「え?」
「ほら、お前の鉛筆が俺のところに侵入してきてんだよ。
 これだよ、これ!」

見ると、ほんの数センチだけはみ出していた。
マサルは「ゴメン」とだけ言って、鉛筆を筆箱に入れた。

ゴメンとは言ったものの、気が収まらないのはマサルだ。
隣の子が消しゴムを忘れた時は貸してあげてるし、教科書を忘れた時は見せてあげている。
それなのに、鉛筆が少しはみ出したぐらいで、どうして突かれなければいけないのか。

給食を食べている間中悶々としていたが、誰よりも早く食べ終えて下駄箱に直行し、その子の靴を他のクラスの下駄箱に入れた。

マサルはそのまま教室に戻り、何食わぬ顔をして窓際にもたれかかってその子を見ていた。
その子は給食を食べ終わり、運動場で遊ぶために教室を出て行った。
マサルはワクワクしながら少し離れてついていった。
すると、下駄箱のところでその子が騒いでいた。

「僕の靴がない! 僕の靴がない! 」

そう言って、半べそをかきながら探していたが、その時はとうとう見つからなかった。
その様子を見て、マサルは気持ちがスーッとした。
もちろん、靴は後で戻しておいた。

こんなこともあった。
算数のテストで、担任が○の付け間違いをした時のことだ。
マサルが書いた答えは合っているのに、×が付いていたのだ。
担任に言いに行くと、

「お前は16と書いたつもりだろうが、これはどう見ても10にしか
 見えない。 だから×だ。 これからは気を付けて書け」

マサルはその場では「はい」と言ったが、納得がいかない。

「僕は合ってたんだ。 先生が見間違えたのに、僕が悪くなるなんて変だ」

気持ちの整理がつかないのでサッカーをしていたが、そこで、思いついた。
サッカーボールで遊んでいるふりをして駐車場に行き、担任の車をめがけて思いっきりボールをけ飛ばした。
ボールは助手席側のミラーに当たり、少しゆがんだ。
すると、積もっていたムシャクシャがスーッと消えた。

そんなマサルも中学生になり、相変わらず人のいるところでは良い子だが、理不尽なことをされると人知れず仕返しをするようになっていた。
悪いのは相手だから、罪悪感など微塵も感じることがなかった。

小さな仕返しをしている間はまだ良かった。
ところが、だんだんとエスカレートし、気に食わないという理由だけで悪戯をするようになった。
自分より良い成績を取った、自分より運動ができる、変な目つきで自分を見た、自分の方を見て笑った、など、理由をあげたらきりがない。
とにかく、自分が嫌だと思うやつを困らせるのが楽しいと思えるようになっていたのだ。

その方法も多種多様で、コンパスの針で教科書やノートや筆箱を刺したり、消しゴムに鉛筆を刺したままにしておいたり、鉛筆の芯を折ったりと、小さいけれど陰湿な悪戯ばかりを繰り返した。

そんなマサルにも好きな女の子ができた。
しかし、自分から告白する勇気はない。
遠くから見ているしかなかったが、心の高鳴りは日を追うごとに大きくなって行った。

ある日、クラスでムードメーカーのGが彼女と楽しそうに話しているのが目に入った。
すると、マサルの心の中で嫉妬心が湧き上がった。

「どうして、あいつが彼女とあんなに仲良く話しているんだ!」

その日から、勉強が手につかなくなった。
授業中でも彼女のことばかり気になる。
休み時間も彼女の姿を無意識のうちに探してしまう。
そんな時、彼女がまたGと嬉しそうに話しているのを見てしまった。

「くそう、どうして、どうしてアイツなんだ!」

湧き上がる嫉妬心がコントロールできなくなり、その思いをぶつけるようにGの家に行き、そっと自転車の空気を抜いてやった。
いい気味だと思っていたが、翌日、彼女にその話をしているのが聞こえて来た。

「昨日出かけようと思ったら、自転車のタイヤがペチャンコでさあ(笑)」

そう言って困った様子もなく笑っていた。
困るどころか、ヤツは話題にして楽しんでいる。
それも、自分が好きな彼女とだ。
それを見たらどうしようもなく腹が立った。

ムシャクシャが収まらなくて、その夜、マサルはライターを持ってGの家に行き、どこに火をつけようかと探っていたところを通報されたのだった。

警察官は聞いた。

「こういうことをしても良いと思っていたのかい?」

マサルは小さく首を横に振った。

「自分でもわかってたんだな。
 じゃあ、ご両親は、君が今まで色々な人に仕返しをしてきたことを
 知っているのか?」

やはり、首を横に振った。

「そうか、でも、よく話してくれた。
 君に説教をするつもりはないけど、1つだけ聞いてくれるか。
 お巡りさんが君ぐらいの時は、日曜日になるとゲームセンターに
 行って遊んでいたんだ。
 勉強はしたくないし、部活もつらくて嫌だったし、でも、何かを
 やりたかった。
 今になって思えば、何かやりたいんだけど何をしたらいいか
 わからなかったんだなあ。
 ゲームばかりやっていたんじゃいけないことぐらいわかっていた
 けど、他にやりたいことが見つからないからゲームをするしか
 なかったんだ。
 そんな時、補導員につかまっちまって、その人が言ったんだよ。
 《小人閑居して不善を成す》って。
 意味わかんねえだろ。
 お巡りさんもわかんなかったから教えてもらった。
 そうしたら、その人はこう言ったんだ。
 『中身のない小さな人間は、暇ができると悪いことをする』ってな。
 それまで自分はマシな人間だと思っていたけど、実際は、小さくて
 中身のない人間だって思い知らされたよ。
 だって、暇ができるとゲームをしていたんだから。
 それからかなあ、何かあるたびにその言葉が思い出されて仕方が
 ないんだ。
 少しは中身のある人間になりたい、少しでも社会の役に立つ人間に
 なりたい、少しでも正義の真似事がしたいと思って警察官になった。
 でも、制服を脱ぐとやっぱり中身は小さいままなんだよ。
 休みの日にすることは、レンタルのDVDを観たり、友達と飲みに
 行ったりだから。
 せめて、変なDVDだけは観ないようにしているけど、時々ムズムズ
 するんだ。
 やっぱり、小さい人間だよな。」

警察官が話し終わると、マサルが嗚咽の混じった声で話し始めた。

「誰かを困らせては喜ぶのはいけないことだってわかっていたんだ。
 でも、どうやって自分の気持ちの整理をつけたらいいかわかんなくて、
 気が付くと変なことばかり考えてた。
 ごめんなさい、僕、もうしません」

「うん、うん、そうか、そうか。
 君は頭がいいんだろ。
 だったら、人を喜ばせることをした方が良い。
 今までは誰にもわからないように仕返しをしてきたけど、これからは
 その罪滅ぼしに、誰にもわからないように人が喜ぶことをしたらいい。
 どんな小さなことでもいいから、人を助けたり、力になってあげるんだ。
 カッコいいことなんて言えなくてもいい。
 話を聞いてあげるだけでいい。
 笑顔で返すだけでもいい。
 人間の価値は、その人がどんな行動をする人かで決まるんだ。
 『ちりも積もれば山となる』って言うだろ。
 だから、人知れず善いことをし続けることで、君は少しずつ大きな
 人間になっていくんだ。」

お巡りさんは優しく話してくれたが、その言葉は中学生のマサルの心に突き刺さった。
それまでの自分が徹底的に叩きのめされた感じがした。

「罪滅ぼし・・・できるかなあ・・・」

「大丈夫、君ならできるよ。
 ご両親には、今回のことは言わないでおく」

お巡りさんはそう言ってから、マサルを両親のところに連れて行った。

「お父さんとお母さん、お待たせしました。
 マサル君は良い子ですから心配はいりません。
 今回のことは通報者が見間違えたのでしょう。」

その言葉を聞いて両親は心の重荷が取れたのか、安堵の顔色に変わった。

それ以来、マサルは人が変わり、小さな親切をするようになった。
消しゴムが落ちていたら拾ってあげたり、落書きがしてあれば消したり。
本当に小さなことばかりだけど、やっているうちに楽しくなってきた。
仕返しをしてスッキリさせていた時の気分とは全然違う。

ある日、マサルの好きな女の子が声をかけて来た。

「マサル君、変わったわねえ。
 前のマサル君は悪いことばかりしていたけど、最近のマサル君は
 善いことをしているでしょ。
 私、ずっと見てたんだよ」

「えっ?」

マサルは度肝を抜かれた。
彼女は知っていたんだ。
壊れるんじゃないかと思うほど心臓が高鳴り始めた。

「ねえ、これ、良かったら貰ってくれない?」

差し出された両手の中には、きれいに包装されたチョコレートがあった。
そうか、今日はバレンタインデーだ!

「私もマサル君みたいに、誰にも言わずに善いことをして行くわ。
 これって、2人だけの密かな楽しみだよね。」

もうすぐ高校受験。
彼女も自分と同じ高校を受験することが分かった。
それを知ったからには、がぜん勉強にも身が入る。
マサルは思い切って言ってみた。

「もし同じ高校に入れたら、付き合ってくれないか」

彼女は恥ずかしそうににっこり笑って、言った。

「いいわよ、一緒に合格しようね」 と。



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