前回の続きです。
「霊的経験値」の「概念」を無視すると、具体的にどのような問題が発生するのでしょう?
「意識の変革次第で何でも出来る」といくら思い込んだとしても、実際には「その人の霊レベルによる自由意志の行使範囲内」でしか何も出来ない訳ですから、当然沢山の問題が発生します。
中でも特に困り物なのは、「意識次第で全ての病気は治る」、「意識次第で人は食べなくても生きられる」と思った人達が本気でそれを実行し、世界中で
「大量病死」
「大量餓死」
という問題が起こっている点です。
こういう発言をすると、唯物論者はすぐに、
「祈りで病気が治ったり、食べなくしたり出来るなんて事は絶対に有り得ないのに、馬鹿な連中だ!」
と言いますが、前回から御説明していますように、
それも「間違い」だから、やっかいなのです。
つまり、「前世」までで十分に「霊レベル」が上がっていて、「スピリチュアルヒーリング」の霊能力や、シルバーコードから栄養が摂取出来る「不食」の霊能力を使えるレベルにまで達している人達には、それが出来てしまうからです。(唯物論者の言う事が全て正しければ、「ニューエイジ思想」、「ワンネス思想」がこれだけ支持される事もなかったでしょう。)
仮に、ヒーリングレベル10、不食能力レベル10が、この能力を最初に完全に使用出来るレベルであるとします。(人には個性があるように、いろいろな霊能力にも個人差があり、全ての数値が皆同じ様に上がっていく訳ではありませんので、実際にはヒーリングレベル10でも、不食能力レベル5という人もいます。)
・私達が意志の力だけで「末期癌」を治そうとした場合
ヒーリングレベル1の人 → すぐに病死
ヒーリングレベル9の人 → 一時的に良くはなるものの、病死
ヒーリングレベル10の人 → 癌が治る(ただしレベル10でも、その癌の原因が前世のカルマによる物だったり、その人の寿命だったりした場合は病死するケースもある)
・私達が食事を全くせず、意志の力だけで生活しようとした場合
不食能力レベル1の人 → 体の脂肪が無くなった時点で餓死
不食能力レベル9の人 → 体の脂肪が無くなっても、シルバーコードからたまに栄養や水分が摂取出来る為、しばらく生きられるが、やがて餓死
不食能力レベル10の人 → 体の脂肪が無くなっても、シルバーコードから完全に栄養と水分が摂取出来る為、餓死しない
この様な感じになるのです。
このヒーリングレベル、不食能力レベルは、1回の地上人生で1つ上がれば大成功と言える程の、ゆっくりとしたスピードでしか上がらない物ですので、今回の地上人生でその能力が開花したのであれば、その人は前世までで既にレベル9に達していた人だったという事になります。
なお、日本には昔、ヒーリングレベル10、不食能力レベル10に達していた霊能者が現実に存在していました。
その人は、日本一の霊能者と言われていた「長南年恵」(ちょうなんとしえ)という人物です。
「長南年恵」につきましては、「人は『霊レベル』が上がると、どうなるのか?」というテーマで、後日改めて日記を書きたいと思います。
さて、これから御紹介する「クリスチャン・サイエンス」で実際に起こっている事件も、正にこの「大量病死」、「大量餓死」の問題なのですが、もちろん実際に病気が治っている人もいる為に、「クリスチャン・サイエンス」の思想全てが間違っているという訳でも無く、正しい知識、つまり「霊的経験値」の「概念」の知識の普及が必要不可欠であり、緊急課題であるとも言えます。
ちなみに「クリスチャン・サイエンス」とは、「気持ちを明るく保つことによって運命が開ける」という、日本で「光明思想」と訳される、「ニューソート思想」の影響を受けたアメリカ人女性「メリー・ベーカー・エディ」が創設した新興宗教であり、「信仰一つで病気は治せる」、「信仰は肉体に優る」、「物質は存在しないと思え」といった訓えを特徴とし、「霊的経験値」の「概念」を無視しているという点では、「ニューエイジ思想」、「ワンネス思想」と全く同じ物であるとも言えます。
なお、今回この新興宗教団体を扱った理由は、この教義を信じて「病死」した信者と、嘘を教えたまま亡くなってしまった教祖「エディ」からの霊界通信が存在する為で、以下にその一部を御紹介したいと思います。
病死した信者からの霊界通信
クリスチャン・サイエンスの信者の多くが、身体の手入れをおろそかにしすぎて、私のように早死にしている。理性を使わずに気力ばかりで、栄養が偏ったり不十分だったりする訳だ。私も物質はないのだと真剣に考え、空気だけ呼吸していれば生きていけると信じていた。言わば催眠術にかかったような状態になって、物質界にいながら物質的な生活をしていなかった。
カール・オーガスト・ウィックランド著 「迷える霊との対話」 P612より
この信者は、言わば「マインドコントロール」のような状態にあった訳ですが、昨今の「ニューエイジ思想」、「ワンネス思想」の本を妄信した一部の「ニューエイジャー」が、同じような「マインドコントロール」の状態に無いと、誰が断言出来るでしょうか?
もしもあなたのお知り合いに、「意識次第で全ての病気は治る」、「意識次第で人は食べなくても生きられる」と本気で思っている人がいましたら、大至急「霊的経験値」の「概念」を詳しく教えるか、私のこの一連の日記を読むように伝えて下さい。
なお、以前あるマイミクさんが、「山田鷹夫」著、「人は食べなくても生きられる」という本を御紹介下さり、この本の著者「山田鷹夫」氏は3年間「不食」を実行しているというので読んでみたところ、彼はお腹が空いたら高カロリーのアイスクリームを買って来てバクバク食べたりと、「断食」ですらないただの「少食」である事が判明しました。
彼は、アイスクリームはあくまで嗜好であり、栄養という観点は全く無いから「不食」であると主張していますが、もし本当に嗜好のみの行為である事を主張したいなら、アイスを舌に乗せて味を確認した後、絶対に飲み込まずにすぐうがいをして吐き出さなければ、この主張は全く通用しないですし、まさかアイスクリームをバクバク食べる行為を「不食」の実験だと思う人も1人もいないと思うのですが、どうでしょう?
まあ、「山田鷹夫」氏が「マインドコントロール」のような状態で、妄信してこのような行為をしているのではない、という事実が分かった事に関しては、正直ホッとしていますが…
ちなみに、脂肪の蓄えが十分にある先進国の人がやる「断食」は、正確には「断食」というよりはただの「ダイエット」であり、適度にやれば健康にも良いとは思いますが、もちろんこれは「取り過ぎた脂肪を落とす」という意味において健康に良いのであって、決して「不食」が健康に良いからという理由で良い訳ではありません。
最後に、「クリスチャン・サイエンス」の教祖、「エディ」からの霊界通信の一部を御紹介いたします。
教祖「エディ」からの霊界通信
私は今ひどい目にあっております。正直言って私は、死後の実相を知っておりました。地上にいた時から知っていたのです。が、自分独自の宗教をもちたいという野心にそそのかされて、その真理への扉を閉じてしまったのです。スピリチュアリズムを過去のものとして葬り、何か新しいものを−スピリットからの教えを届けるだけとは違う、目新しいものを、と考えたのです。
正直に言って、私はお金が欲しかったのです。世界で最も豪華な教会を建造したいという野心がありました。世界中に自分の教会を建て、自分の教えを広めたいと考えておりました。
カール・オーガスト・ウィックランド著 「迷える霊との対話」 P616〜617、P619より
このように、大霊のマウスピースが道具意識を忘れ、野心を持ってしまうと、誤った教えを信じ込ませてしまった信者が1人残らず教義を捨て去るまで、あの世で「地獄の苦しみ」を味わわなければならなくなるという、とんでもない代償を支払うハメにもなったりしますので、私達スピリチュアリストは決して道具意識を忘れず、謙虚な姿勢で「霊的真理」を普及しなければなりません。(この「地獄の苦しみ」も、当然自分の霊的本能である「良心」が自分自身を苦しめている状態であって、あの世に「地獄」という場所が「元々」ある訳でも、閻魔様に「地獄の苦しみ」を味わわされている訳でもありません。)
なお、「迷える霊との対話」は、「スピリチュアリズム」、「霊的真理」を学ぶのに大変良い本ですので、まだお読みになっていない方がいらっしゃいましたら、是非一読される事をおすすめいたします。
次回は、「ラマナ・マハルシ」、「ジッドゥ・クリシュナムルティ」、「ホ・オポノポノ」の問題点について、書いていきたいと思います。
【追伸】
■前回御説明しました「間違いを指摘する行為」と「ただの悪口」との違いは、以下のように考えると、より違いがハッキリ解るかと思います。
間違いを指摘する行為 → 愛の行為
ただの悪口 → 怒りの行為
■私がサイトや日記でよく「ドラゴンクエスト」の話を持ち出すのは、RPG(ロールプレイングゲーム)の「概念」が「霊的真理」のいろいろな「概念」を説明するのに最適だからという、純粋に「利便性」の問題からであって、決してサイトを面白くする為とか、ふざけ半分とかでやってい訳ではないのです。
例えば「霊界通信」をしている際、よくスピリットが「そろそろ限界のようです」と言うのは、参加者の霊的エネルギーが無くなって来たという意味なのですが、これもRPGの「MP」(魔法値)の「概念」を正しく理解すると、とても簡単に理解出来るようになります。 |