ちょっとスピリチュアルな短編小説 Vol.28 「ミート・フリー・マンデー」
「ねえねえ、今日、お肉の特売日だって」
「え、ほんと? いくら?」
「全部半額だって。 早く行かないと売り切れちゃうよ」
2人の主婦がそう話しながら速足で追い越して行く時のこの話が、広樹の心を凍りつかせた。
必死に走って走って、息が切れて、もう走れなくて、広樹はハーハー言いながらその場に立ちすくむしかなかった。
拳をぎゅっと握りしめ、涙を拭うことも忘れ、湧き上がる感情を震えながら必死でこらえた。
広樹は小学校三年生。
父親は酪農を営んでいる。
半年前、2つ年下の弟が病気で他界し、その翌日にタローが生まれた。
タローは、父親が乳牛として飼っている雌牛から生まれた仔牛だ。
酪農家では、雌は乳牛にできるため生まれたことを喜ばれるが、雄は生まれるとすぐに二束三文で業者に引き渡される。
この日もすぐに引き取ってもらうはずだったが、弟の死と何か縁を感じたからか、父親がそのまま置いておいたのだ。
広樹はその仔牛に“タロー”と名前を付けて可愛がった。
タローは広樹によくなつき、広樹の言葉にも仕草にもよく反応した。
遠くからでも、「タロー!」と呼べば、どこから声がするんだろうと一生懸命に広樹の姿を探す。
その仕草がたまらなく可愛くて、広樹は毎日のように物陰に隠れては、わざと名前を呼んで“勝手にかくれんぼ”をしてみたりした。
タローの目は、黒くて大きくて、まつ毛が長くて、とてもきれいだ。
その黒い目をじっと見ていると、吸い込まれそうになる。
広樹が歩くと、タローはその後をついて歩いた。
名前を呼べば、耳を振って返事する。
学校であったことは全部タローに話した。
頭をなでれば顔を広樹に擦り付け、体全体で喜んだ。
タローは本当に可愛い。
「タロー、ここにいるのは全部オバサン牛たちばかりだから、若い雄はお前だけだよ。
ははは、まるで大奥だね」
そう言って、タローの頭をなでながら笑った。
それから9か月経ち、タローはもう仔牛とは言えない大きさになっていた。
しかし、広樹にとっては愛らしいタローに違いはない。
ある日、広樹が学校から帰ると、時々来る業者のトラックが目に入った。
広樹は嫌な予感がした。
牛舎のところに行くと、お父さんが暗い顔をして、
「広樹が帰って来る前にと思ったけど、業者の人の来るのが遅れたから・・・
いいか広樹、よく聞くんだ。 タローは今日業者の人に引き取られるんだ」
「え、何?
タローは売られるの?
お父さん、タローを売らないで、お願い・・・」
「広樹の気持ちはわかるけど、ウチは火の車で、余計な牛は育てられないんだ。
酪農がうまく行っていた時ならいざ知らず、今はペットとしてタローをここに置いておく
わけにはいかない。
金がかかりすぎるんだ。 わかってくれ」
「そ、そんなのわからないよ。 タローはどうなるの? お肉になっちゃうの?」
「たぶんな。 でも業者がどうするか、本当のところはお父さんにもわからないんだ」
暫くすると、業者のトラックが入ってきた。
そのトラックには、すでに他の酪農家から引き取ったとみられる、生まれて間もない仔牛が3頭乗せられていた。
「待って! お願い、連れて行かないで!! タロー、タロー!」
タローは広樹の声を聞いて、トラックに乗るのを嫌がった。
しかし、業者は容赦なく綱を引っ張り、無理やりトラックに乗せた。
「タロー! タロー!! タローーーーーー!!!」
広樹の叫ぶ声を聞いて、タローはトラックの中からいつになく大きな声で鳴いた。
トラックが発車した。
広樹はトラックの後を走って追いかけたが、小学生の足で追いつくはずがない。
息が切れ、ゼーゼー言いながらトラックが走り去るのを見ていた時、買い物に出かけた主婦たちの話を聞いたのだった。
泣いて泣いて目が真っ赤になって、それもようやく治まって、やっと家に帰った時は、すでに辺りは暗くなっていた。
心配した両親が家の外で待っていたが、広樹は2人の手を振り切って真っ先に牛舎に向かった。
タローはもういない。
広樹はタローのいなくなった牛舎に座り込み、タローのぬくもりが残っていないかと、あちこちを触ってみたが、コンクリートの床は冷たいだけだった。
タローの母牛が悲しそうに広樹を見つめているのに気が付き、広樹は母牛をなでながら、また泣いた。
その日以来、広樹は一切の肉が食べられなくなった。
牛肉だけでなく、鶏肉も豚肉も。
乳製品さえ受け付けなくなってしまった。
目の前に肉が出てくると、心と身体が拒否してしまうのだ。
給食に出ると食べられなくて、担任の手を焼かせた。
しかし、母親がそのいきさつを説明すると、担任は何も言えなくなった。
父親の酪農はどうかというと、牛乳の値段は全く上がらないのに飼料代、薬代は高くなる一方。
これ以上は酪農を続けることもできず、タローが連れて行かれてから半年後に廃業した。
家にいた乳牛たちは、知り合いに安い値段で引き取ってもらった。
☆ ☆ ☆
それから数年が過ぎ、広樹は大学生になった。
ある日テレビを観ていたら、ポール・マッカートニーとオノ・ヨーコのニュースが目に飛び込んできた。
週に1日、月曜日だけでいいから「ミート・フリー・マンデー」にしようというものだった。
広樹の心に、タローのことが甦った。
あの時のことは、いまだに心に突き刺さったままだ。
思い出すと今でも泣けてくる。
広樹はこの「ミート・フリー・マンデー」のことを調べた。
地球温暖化の抑止と、飢餓で苦しむ人たちを救うために提案されたものだというのが分かった。
そして、先進国がこの提案に乗り、あちこちで週1日のベジーデーが始まったことも知った。
しかし、日本はどうだ。
ほんの少しニュースになっただけで、すぐに忘れ去られてしまっている。
それどころか、ハンバーガー、牛丼などは、各社が争うように安く出している。
広樹の心は揺さぶられた。
自分も何かしなくっちゃ。
日本は先進国として発展途上国に支援はしていても、国内では何も進んでいないじゃないか。
タローのことがあって以来、広樹はタローのことは無理して思い出さないようにしてきた。
しかし、今こそ、タローがあの後どうなったのか、自分は知るべきだ、いや、タローのために知らなければいけない。
そう思った。
ネットで調べてみたら、酪農家で生まれた雄牛のほとんどは、生まれるとすぐに屠殺され、ペット用のエサに加工されたり、外食産業にタダ同然で売られてハンバーガーになったりしているというのを知った。
そうか、そうだったんだ・・・
タローは雄だったからなのか・・・
雌だったら大切にされたのに・・・
知らないところに連れて行かれて、怖かっただろうな・・・
痛かっただろうな・・・
タロー、助けられなくてゴメンな、ゴメンな・・・
当時の思いが甦り、胸が苦しくなった。
幼かったとはいえ、あの時何もできなかった自分に対しての怒りが込み上げてきた。
それから広樹は同志を集めるため、“ミート・フリー・マンデー”のチラシを作り、まず大学内で配った。
チラシを渡しながら、その人たちに牛たちのことを話した。
ところが結果は散々なものだった。
すぐに同志が集まるものとばかり思っていたが、その逆で、ほとんどの人にとって食肉は当たり前であって、中には文句を言う人さえいた。
「肉を食べないで何を食べろと言うんだ。 まさか、ウサギのように草を食えって
言うんじゃないだろうな」
「野菜は草じゃないですよ。 野菜は栄養豊富で健康を維持するには欠かせない食材です」
「俺から見たら野菜は草だよ。 草ばかり食べろと言うなら、俺は闇市で買ってでも
肉を食べるよ」
「ベジタリアンになって欲しいと言ってるんじゃないんです。
週に1日だけ肉を食べないで欲しいと言っているだけなんです。
あとの6日は食べてもいいんですから」
「あのなあ、牛や豚は食べられるために生まれてきてるんだぞ」
「食べられるために生まれてくる動物なんていないと思います。
牛や豚にだって心があるんです。
動物が子供を育てようとする思いは人間以上に強いんです。
それを引き裂いてすぐに殺して肉にしてしまうなんてひどいと思いませんか」
「そんなこと俺の知ったことか。そういうのは俺に言うんじゃなくて、肉屋に言ってくれ」
「週に1日だけ肉を食べない運動?
テレビの料理番組だって、ほとんど肉料理ばかりじゃない。
週に1日だけ肉を食べないことで地球温暖化を抑止できるの?
私1人が食べるのをやめたって何も変わらないわよ。
まあ法律で決まったらやるしかないけど、それまではお肉は食べ続けたいわ。
だって、美容のためにコラーゲンをいっぱい摂らなくっちゃいけないもん」
「ベジタリアンになってほしいって言ってるわけじゃないんです。
週に1度でいいから食べない日を作ってほしいって言ってるだけなんです。」
「わかったわ。 じゃあ、来週の月曜日は食べないようにする。
でも、きっとすぐに忘れちゃうわね。 忘れて食べちゃったらゴメンナサイ」
「牛や豚を殺して食べているっていう感覚はないのよねえ。
スーパーに行けばスライスしたりミンチになって売られているし、焼肉屋だってあちこちに
あるし、肉って食材としてしか考えられないのよ。
でも、あなたが言っていることはわかるから、なるべく食べるのを少なくするわね。
最近太ってきたから、痩せるためにもお肉は少なくしようと思っていたところだったし」
「世界は食物連鎖で成り立っているわけでしょ。
動物には生命があるからダメだというなら、魚だって植物だって命があるじゃない。
葉っぱを火であぶると、刺激を感じるっていう報告だって出てるし。
トマトに音楽を聞かせながら育てると美味しくなるって言うじゃない。
あなたの言うことを突き詰めて考えて行ったら、食べるものなんて何もなくなっちゃうわ。
だったら、人間なんていなくなっちゃえというのと同じでしょ」
「僕はそんな極端なことを言ってるわけじゃないんです。
植物と動物では明らかに違います。
動物は家族とか仲間を認識します。
人を区別する能力や、仲間を守る本能があります。
喜んだり悲しんだりする感情もあります。
それに、栄養学からいっても、肉を食べるより、野菜中心の食事の方が健康に良いって
ことは誰もが知っています。
とにかく、週に1日だけでいいんです。
週に1日だけ肉を食べないという日を設けてくれるだけでいいんです」
「それぐらいならできるかな。
現に、私は毎日肉を食べているわけではないから、今までどおりでいいわけね」
「ありがとうございます。
できれば、意識して食べない日を作ってくれるともっといいんですけど」
「わかった、気にかけておくわ」
広樹はチラシを配りながら、1人1人に懸命に訴えかけた。
無類の肉好きな人でも、中には賛同してくれて、これからは週に1日だけ肉を食べないようにすると言ってくれた人もいたし、数人だけだけど、すでにこの運動を知っていて実行してくれている人もいた。
どうしてミート・フリー・マンデーの活動を始めたのかと聞かれたので、タローとの悲しい思い出を話したら、実は自分もかつて両親が養豚をやっていて、似たような体験をしたことが有るとか、鶏をひよこの時から飼っているので、鶏肉は一切食べられなくなったという人もいた。
犬と猫を飼っている人にタローのことを話したら、可哀そうだと言って涙を流してくれる人もいた。
時には話がいろいろな方向に飛んだりして、動物談義になることもあった。
「韓国や中国は犬の肉を食べるのよ。
中国なんか、サルだって生きているまま売られているって聞いたことあるし。
中国や韓国ってすごく残酷な国民だと思ったけど、私たちは牛や豚を食べているん
だから、犬を食べる国民を残酷だとは言えないなあって思った。
あ、肉食を肯定しているわけじゃなくて、人間の感覚の傲慢さを言いたいだけなの。
もし本当に肉を食べたかったら、その人は自分で飼育して、自分で殺して食べれば
いいのよ。 そうは思わない?」
「思う思う! 家庭菜園をやるように、牛や豚や鶏も、家庭で食べる分だけ自分で育てて
屠ればいいのさ。
そうすれば、牛や豚を育てるのにどれだけたくさんの穀物が必要なのかが実感できるよ」
「時々テレビのニュースで、子猫が木の上に上って降りられなくて、消防のはしご車を
出して助けたとか、ノラ犬が岸壁にいてそれを助けるために大勢の人が見守った話
なんかがあるだろ。
そういう感動話ってみんな好きだけど、動物が可哀そうだと言いながら、肉をモリモリ
食べるのって矛盾してるよね。」
中には更に過激な発言をする人もいたが、広樹は集まった人たちの熱い思いを聞いて、嬉しかった。
そして、広樹は広樹なりの考えを述べた。
「現代では肉食は当たり前になってる。
それは、食肉が様々な悪影響を及ぼすってことを知らない人が多いからだと思う。
だから、とりあえずは、先に知った者が知らない人に声を大にして伝えなければいけない
んだと思うんだ。
実態を知っても肉を食べることに疑問さえ抱かない人は、霊性がまだ開いてないってこと
だから、そういう人は仕方がないよ。
いつも思うことだけど、生物は食物連鎖で他の生命を食べることで命を繋いでいるだろ。
人間は食物連鎖のトップにいるからこそ、真っ先に自然のことを考えなければいけないと
思うんだ。
それが人間としての責任でもあり、義務でもあると思う。
会社でも国でもそうだけど、上に行けばいくほど、上は下を守る義務と責任がある。
その義務と責任を無視して君臨したら、会社も国もいつかは必ず滅びる。
人間が全生命のトップにいると言うなら、他の動物の生命、自然を守る責任があるはずだ。
とりあえず“ミート・フリー・マンデー”から始めてもらって、それが定着したら、
もう1日、たとえば月曜日と木曜日というように更に1日増やしていけばいいんだ。
それが定着したら、またもう1日増やしていく。
週1回だけでも肉を食べない日にしていけば、少なくとも1人の人間としての責任の
7分の1を果たしたことになる。
自分1人食べなくても何も変わらないように見えるけど、自分が肉を食べなかった分、
他の生命が助かっているのと同じになるんだ。
自分が食べなかった分、動物の命を保護したのと同じなんだ。
自分が食べない分、飢餓の人たちが食べられるんだ。
自分が食べない分、地球温暖化の防止に少しは貢献していることになるんだ。
狂牛病や口蹄疫、鳥や豚のインフルエンザって、動物たちの逆襲かもしれない。
いや、もしかしたら神様から人間への警鐘なのかもしれない。
警鐘というのは、これ以上進むと危ないから鳴らされるものだろ。
だから、神様からの警鐘が鳴っている間に何とかしなくちゃいけない。
警鐘を無視し続けたらどういうことになるか、火を見るより明らかだよ。
誰も自然の摂理には逆らえないんだ。
それでも食べたい奴は、自分の子孫を、人類を滅ぼすために食べ続ければいい!」
☆ ☆ ☆
ミート・フリー・マンデーのチラシを配り始めてから半年ほどたつと、ずいぶん仲間も増えた。
チラシを印刷するお金はみんなで出し合いし、月曜日だけ人通りの多いといころでチラシを配った。
そうしてチラシを配っていたら数人の人たちがやって来て、広樹たちに言った。
「あのなあ、兄ちゃん。 こういうことしてもらっては俺たちが困るんだよ。
俺たちは肉屋だ。
肉が売れなくなったら生活が成り立たないんだよ。
肉を食べるなと言うんなら、俺たちの生活も守ってくれるんだろうな」
「僕たちは、あなたたちの仕事の邪魔をするつもりはないんです。
週に1日だけ食べないでほしいと言っているだけなんです。
肉屋さんとしてではなく、1人の人間として考えてもらえないでしょうか」
「そんなこと、俺たちの知ったことか!
こんな活動、すぐにやめろ!
やめないとどういう目にあうかわからないぞ。
活動を続けるなら、覚悟して続けるんだな」
そう捨て台詞を残して帰って行った。
事件が起きたのはその日の夜だった。
広樹がアパートに戻る途中、知らない人に思いっきり殴られた。
「お前たちの活動はとことん邪魔してやるからな!」
この言葉から、確かなことではないが、昼間会った肉屋の人のうちの1人だと思った。
暗闇で殴られて、広樹はその場にしゃがみ込んだ。
正直、恐かった。
そして・・・泣けてきた。
僕は無理なことを言っているんだろうか。
週に1日だけなのに・・・
たった1日、たった1日だけなんだ。
そんなに難しいことなんだろうか。
そんなに迷惑をかけることなんだろうか。
僕は大好きなタローを助けることができなかった。
タローを助けられなかった代わりに、恐怖の中で殺されていく牛や豚たちを少しでも
少なくしたいだけなんだ。
タローや他の牛や豚が味わった恐怖と痛みに比べたら、今僕が殴られた恐怖や痛み位
なんだ。
タロー、僕は大丈夫だよ。
だって、この活動をすることがタローへの償いなんだから・・・
こんな暗闇で待ち伏せしていて突然殴るなんて卑怯だ。
でも、彼らの気持ちもわかるんだよ。
彼らは知らないだけなんだ。
理解できればきっと変わってくれるに違いない。
間違いは、間違ったと気が付いた時から修正していかなければいけないんだ。
時代はどんどん新しい方に向かっている。
彼らが理解してくれるまで、僕は頑張るぞ。
タロー、僕は負けないからね。
こうすることでしか、タローを見殺しにしたことを償うことはできないから・・・
相手はヤクザとかそういう人たちじゃなくて、理性のある大人だ。
今は憤っているけど、理解が進めばきっと何らかの方法で協力してくれるに違いない。
広樹は涙を拭って立ち上がり、明日からもっともっと頑張ろうと、逆に決意を新たにした。
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