ちょっとスピリチュアルな短編小説 No.15 「受け取った善意と悪意の使い道」
交差点の信号が黄色から赤に変わり、大勢の人が横断歩道で立ち止まった。
生気が抜けたように、ただじっと立って、信号が青になるのを待っている人もいれば、気ぜわしそうにしている人もいる。
辰也もその中に混じり、信号を待ちながら、ふと子供の頃を思い返していた。
小学生の頃、僕はいじめられっ子だったなあ。
当時、僕の家はとても貧しくて、両親が共働きをしていたわりには、ちっとも生活は
楽にならなかった。
クラスに金持ちのやつがいて、そいつらは僕のヨレヨレの服とか靴を見ていつも笑って
からかったっけ。
僕はまだ子供で、経済のことは分からなかったから、ヤツらを見返すには勉強しかない
と思って、勉強に打ち込んだ。
おかげで、ヤツらより成績が上になり、そしたら不思議といじめはなくなっていった。
ざまあみろ、って感じだった。
あいつら、今は何してるかなあ。
辰也の父親は人が良い。
貧乏なのは、どうやら友達の借金の保証人になって、その友人が逃げてしまったかららしいというのが後で分かった。
それでも、父親は人が良くて、愚痴一つ言わずに働いて働いて借金を返した。
辰也は父親に似たと見えて、子供ながらに他人が困っているのを見過ごせないところがあった。
ある日、クラスの友達のYが廊下で泣いているのを見た。
特に仲が良いわけじゃなかったが、泣いているのを、見て見ぬ振りができなかった。
どうしたのかと声をかけたら、絵の具を持って来るのを忘れたという。
辰也は、「大丈夫だよ。 僕のを一緒に使おうよ」 と言って、担任にそのことを話して、図工の時間だけ一緒に座って絵を描いた。
翌週、そのYが教室の隅で下を向いて立っていた。
どうしたのかと聞くと、また絵の具を忘れたと言う。
なんだかおかしいと思って更に聞いてみると、家にお金がなくて、絵の具を買ってもらえないのだと言う。
辰也は母親に状況を話し、Yに絵の具を買ってあげてほしいと頼んだ。
ところが、母親はそれは良くないと言う。
友達が困っているのに、なぜ母さんは助けてくれないんだ。
母親は言った。
悪いけど、他の子の絵の具まで買う余裕はウチにはないんだよ。
辰也の友達でしょ。
だったら、辰也が自分の小遣いで買ってあげなさい。
これは、辰也の問題だからね。
自分の小遣いが減るのはちょっと嫌だったが、母さんの言うのももっともだと思って、自分のなけなしの小遣いから絵の具を買って渡した。
Yはとても喜んでくれたので、辰也は「良かった〜、ああ良いことをした」と満足した。
数日して、またそのYが教室の隅で泣いていた。
話を聞いてみたら、算数で使うコンパスと定規が買えないのだと言う。
辰也は、ちょっと躊躇したが、また自分の小遣いで買ってあげることにした。
数日して、今度はそのYの方から声をかけてきた。
鉛筆が少なくなってきたから買って欲しいと言う。
さすがに辰也は困った。
もう小遣いがない。
ごめん、もう小遣いがないんだ。
そう言うと、Yは、
貯金はあるんだろ?
貯金を崩せば良いじゃん。
その言葉を聞いて辰也は驚いたと同時に、腹が立ってきた。
本当は貯金はあったが、
貯金なんかない!
もう僕にはお金はないよ。
そう言って突っぱねた。
するとYは、
なーんだ、もうないのか。
シケてんの。
そう言って向こうに行ってしまった。
後で、家にお金がないのではなく、Yは人から物を貰うのが常習だったことがわかった。
辰也は、自分の善意が裏切られたことに強いショックを受けた。
Yを助けたつもりが、こんな形で返ってくるとは・・・
そんな辰也も大学生になった。
ある日の夕方、街中をブラブラ歩いていたら見知った女性を見かけた。
友人のまた友人だったので、挨拶程度にしか話したことはなかった人だ。
しかし、普通の人とはちょっと違った雰囲気を持っている人だったし、友人の話ではボランティアに携わっていると言うことだったので、
一度はゆっくり話してみたいと思っていた人だった。
その人はGさんといって、誰かと待ち合わせをしているらしく、時々周りを見回して待ち人を探している感じだった。
もし彼氏と待ち合わせをしているのだったらお邪魔かな、と思いつつ、せっかくの機会なので思い切って話しかけてみた。
待ち合わせをしているのは同じボランティア仲間だった。
辰也はどういったボランティアをしているのか興味が湧いたので、話を聞いてみたいと申し出ると、「百聞は一見にしかず」で、話を聞くより、自分の目で見るのが一番だと言われ、一緒に行くことにした。
待ち合わしをしていた人も女性で、3人で歩きながら自己紹介をしあった。
歩きながらボランティアの概略を聞くと、一週間に一度だけ、ホームレスの人に食事や日用品を手配してあげているのだという。
その経費は中小企業や個人からの献金でまかなっているのだということだった。
もちろん、彼女たちへの報酬は一切ない。
報酬はないのに頑張っている彼女たちが眩しく見えた。
15分ほど歩いて、ある公園に着いた。
すでに他のボランティアの人が何人か来ていて、準備を始めていた。
ホームレスの人たちも集まり始めていた。
テーブルの上には、一人当たりにおにぎりが2個と、温かい味噌汁が用意されていた。
それ以外に、注文品も手渡していた。
石鹸とか、歯ブラシとか、髭剃りとかティッシュもあった。
とりあえず最低の生活を援助しているという感じだ。
集まって来ている人は、働きたいのに働くところがなくて、仕方なく路上生活を余儀なくされている人が多かった。
見た目ではまさかこの人がホームレス? というぐらいきれいな身なりをしている人も結構いた。
今のこの大不況でのホームレス・・・他人事だといって見て見ぬふりをしてはいけない、そんな思いがどんどん湧きあがってきた。
この出会いはきっと何かの縁だろう。
辰也はボランティアに加わって、自分の事情が許す限りやってみようと思った。
ボランティア仲間といろいろ話をするのは楽しかった。
思いも考えも似ている人たちと話していると、とても充実感がある。
食事の支援は一週間に一度しかないが、その日のためにあれこれと準備をしなくてはならないので、けっこう忙しい毎日だった。
ところが、やっていくうちに自分の心の変化に気がついた。
週にたった一度しか支援をしていないのに、なぜか自分の心の中には、“やってあげている”という傲慢な思いが湧いてきているのだ。
自分は差別をしているつもりは全くない。
しかし、何かしら優越感を感じているのは認めざるをえない。
ホームレスの人たちは、みんな「有り難う。助かるよ」と言ってくれる。
その言葉はたまらなく嬉しい。
しかし、自分はその言葉に甘んじていないだろうか。
こんな気持ちで続けても良いのだろうか・・・
来ている人たちを見てみると、自分より年上の人が圧倒的に多い。
派遣切りにあった人ばかりじゃなく、元は社長だった人もいるみたいだし。
この人たちは、もしかしたら「自分はこんな若造に負けている」とか「恵んでもらってる」なんて思っているんじゃないだろうか。
もしそうだとしたら、僕はこの人たちのプライドを傷つけていることになるんじゃ・・・
一人で考えていたら堂々巡りになるだけで、納得する答えなんて出てこない。
仲間に自分の気持ちを打ち明けてみたら、
そんなこと考えずに支援すればいいんだよ。
困っている人に手を差し伸べるのは当たり前じゃないか。
自分が傲慢だと思うなら、傲慢じゃないように考え方を変えれば良いじゃないか。
“やってあげている”じゃなくて、“やらせてもらっている”って考えたらどうだ。
そうか、“やらせてもらっている”か。
そうだな、そういう謙虚な思いで頑張るようにしよう。
しばらくしたら、また別の思いが湧きあがってきた。
こうして食事とか生活用品の支援をするのはいいが、ホームレスの人たちがこれに甘んじてしまって、こんな世の中でせっせと働くより、無料で食事とか生活用品を支給してもらっている方が楽だからと思って、返って働く気がなくなるんじゃないだろうか。
もしそうだとしたら、自分たちのしていることは自己満足であって、本当は良くないことをしているんじゃないだろうか。
余計な優しさは時にはその人をダメにするって言うし。
もし、ダメになって行くとしたら、どうやって責任を取ればいいんだ。
だけど、本当に困っている人には、支援は必要だと思うし・・・
いくら考えても答えは出てこないので、また仲間に聞くことにした。
すると、
それは僕もずっと考えてるんだ。
支援は必要だと思うけど、働かなくても暮らせるのが続くと、どうなのかなって。
ホームレスになりたての人は、何とかして仕事を探そうと躍起になるけど、
病気をしたり、仕事に就けない時期が長く続いたりすると働く気力がなくなって、
飲んだくれるだけになる人もいるんだ。
僕も時々、こういうボランティアって罪作りなのかもしれない、なんて思うことが
あるんだよ。
と、その時、一人の立派なスーツ姿の男の人が話しかけてきた。
悪いな、聞こえてきちゃったから、話の中に割り込ませてもらうよ。
実は、私もホームレスでねえ。
派遣切りじゃなくて、倒産した口なんだ。
食事を恵んでもらうのは有り難いけど、逆に惨めさも倍増してしまってねえ。
いい歳して、こんな生活をしなければいけないなんて、情けないよなあ。
だから、こんなスーツなんか着て見栄を張っているのかもしれない。
食事とか生活用品の支援だが、私は君たちが自分で良いと思うことをするのが一番
だと思う。
自分たちのしていることが相手にどんな影響を与えるかなんて、予め分かるはずない
じゃないか。
ある人は支援をバネにして再就職できる人もいれば、やる気がなくなってずっとホーム
レスのままで終わる人もいる。
結果の先読みをしたら何もできないよ。
私はこう考えるんだ。
“愛”とか“思いやり”だけじゃなく、“いじめ”にしても“嫌がらせ”にしても結局は
同じことだと思うんだ。
大切なのは、自分の動機だ。
自分は善意でしてるのか、悪意でしてるのか、好奇心でしてるのか、見栄でしてる
のか。
自分が責任を持てるのはそれだけだと思う。
その結果、相手がどうなろうと、君の知ったことじゃないんだ。
君の善意を相手が受け取る、その善意をどう使うかは、相手の責任なんだよ。
有り難いと思って頑張る人もいれば、惨めさから脱却したいと思って頑張る人もいる。
優しさに甘んじる人もいれば、余計なお世話だと怒る人もいるし、悪用する人もいる。
嫌がらせにしたってそうだ。
悪意のあるものを受け取ったとしても、それをどう使うかは受け取った人の責任なんだ。
いじめられた人が、更に他の人をいじめるか、ひきこもりになるか、反対にいじめた
人を反面教師にして自分を磨くか、それは受け取った人の人の責任なんだよ。
もし悪意のあるものを受け取ったとしても、自分で善いものに変えてしまえば良いんだ。
だから、自分の動機以外のことは知ったことじゃないって言うんだ。
そうそう、こんな話があるよ。
ある有名な歌手の下積み時代の話だが、スナックでお客のリクエストで歌ったことが
あるらしいんだ。
その時、そのお客はよほど虫の居所が悪かったのか、酔い過ぎていたのか、みんなの
前で、「そんな下手な歌なんか歌って、よくも歌手ですなんて言えたもんだ。
恥ずかしくないのかあ。お前なんか絶対に売れないから、やめちまえ!」って
怒鳴られて、おまけに水をぶっ掛けたられたって言うんだ。
それでも最後まで歌ったそうだが、悔しさと情けなさで楽屋に戻ってから涙が止まら
なかったらしい。
それから、いつかはあの酔っ払いを見返してやろうと心に決め、練習に練習を重ねて
いたら、ある曲が売れて、一躍有名になったのだが、
その時に思い出したのは、あのスナックで自分を罵倒した酔っ払いのことだったという。
あの人が罵倒してくれたおかげで、意地でも頑張ることができた。
あの時は恨んだけど、今では感謝しているって言っていたなあ。
支援してもらっている身でこんなことは言えた義理じゃないが、ボランティア、続けて
くれよ。
みんな、本当に助かっているんだからさあ。
辰也にはこの言葉はズシッと響いた。
そういえば、小学生の頃いじめられたお陰で勉強を頑張れたし、成績も維持できた。
そう思うと、やっぱり、あいつらには感謝しないといけないな。
帰り道、喫茶店で反省会を兼ねてみんなと雑談をしていたら、テレビで某番組をやっているのに目が行った。
それは、ある女性が結婚詐欺に遭い、スタッフが隠しカメラで追跡して被害者と対峙させる、という番組だった。
見ていて、ドキッとした。
あの詐欺師、どこかで見たような・・・
ま、まさか・・・
Yだ、あれはYだ。
僕から絵の具とか定規を搾取したYだ!
突然泣けてきた。
涙がポロポロ落ちた。
僕があの時何とかしていたら、Yはここまで転落せずにすんだかも知れない。
その時、あの立派なスーツを着たホームレスの人の言葉が思い返された。
「受け取った善意をどう使うかは、相手の責任なんだよ」
そうだ、そうだった。
これは僕の責任じゃない。
あの時僕が何とかしていたとしても、やっぱり詐欺をして捕まったかもしれない。
そう思ったら、少し気分が落ち着いた。
一緒に喫茶店にいた仲間が、
あれ? 辰也、泣いてんのか?
辰也は、
昔のことをちょっと思い出しちゃった。
何でもないよ。
そう言いつつ、家に帰ったら、辰也はYに手紙を書いてみようと思った。
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