新世紀エヴァンゲリオン(類魂)
新世紀エヴァンゲリオンに関しては、主にその作品の根幹をなす「人類補完計画」について、書いていきたいと思います。
この「人類補完」という考え方、その発想自体は大変素晴らしく、人類が本当の安らぎを得る為には、どうしても必要な要素である事は事実です。
ならば、当然大霊(創造主)もそれに気付かない訳はなく、現実の人類補完はゼーレや碇ゲンドウがなんとかしなくても、とっくの昔に、今から何万年も何億年も前にすでに稼動しているシステムなのです。
そのシステムの名を、
「類魂システム」
と言います。
その前に、あなたは「圭角(けいかく)」という言葉を御存知でしょうか?
「圭角」とは、球体の尖った角の事で、転じて、性質や言動に角があって、円満でない様を顕し、「圭角が取れる」とは、その円満でない角が取れて、人柄や言動が円満になる事を意味します。
実は、この圭角を取る作業こそが受肉であり、「この世」とは、この圭角を削る厳しい「研磨機」の事だったのです。
その際、球体の殆どは再生せずに霊界に留まり潜在意識化し、圭角の部分のみが顕在意識化して「この世」に顕現します。
そういった理由で、ゼーレや碇ゲンドウがいくら地上の顕在意識、つまり圭角部分だけを集めてこの世で補完しても、この世での「人類補完計画」は必ず失敗に終わる運命であったばかりか、全く意味の無い行為だったのです。
それに対し、現実の人類補完は、霊界で圭角が取れ丸くなった人々の意識を共有化させる事により行われます。
この他人との意識の共有、共有化出来る相手とのグループが、「類魂」です。
「類魂」は最初は小さなグループですが、魂の進化が進むにつれ、徐々に大きなグループとの意識の共有化が可能となり、行く行くは全ての人類との意識の共有化が可能となります。
これが、本当の意味での「人類補完圭角」、もとい、「人類補完計画」です。
エヴァンゲリオンの人類補完は自分と他人の境界が曖昧になるのに対し、現実の人類補完は、個人の意識は明確に残したまま、いやむしろ、個人の意識は類魂と意識を共有する以前よりずっと鮮明になった状態で、補完される事になります。
これを解りやすく示すと以下のようになります。
人類補完計画
A B C D E → ABCDEの統合意識体F
※5人が1人に
類魂
A → BCDEの意識も持ったA
B → ACDEの意識も持ったB
C → ABDEの意識も持ったC
D → ABCEの意識も持ったD
E → ABCDの意識も持ったE
※5人は5人のまま
もし、監督庵野秀明氏がこの類魂システム等の「霊的真理」を知っていたら、新世紀エヴァンゲリオンはきっと今とは全く毛色の違った作品になっていた事でしょう。
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