いろいろな作品との比較
ここは、いろいろな作品と正しい霊知識との比較をする事で、特にクリエイターの方々に「霊的真理」を理解してもらう為のページです。
例えば、日本語の「神」という言葉、実はこの言葉の語源は本来、「目に見えない霊的存在」という意味だったのを御存知でしょうか?(以下区別の為、「目に見えない霊的存在」を意味する「神」の場合は、カタカナの「カミ」を使用)
つまり語源では、創造主としての「神」以外の霊的存在、すなわち天使、悪魔、妖精、精霊、幽霊、浮遊霊、自縛霊、悪霊、動物霊、自然霊、ゴースト、スピリット、サンタクロース、お化け、妖怪、仏様、御先祖様、先日亡くなった隣のおっちゃんまで、全て「カミ」なのです。
多くの作品は、この「神」と「カミ」の違いを正しく理解していない点と、霊的に間違っている御利益信仰が相まって、設定上辻褄の合わない、摩訶不思議な物となってしまっています。
もちろん作品がフィクションならば、それはどんな世界でも設定でも全然構わない訳ですが、正しい霊知識を知って描いた作品と、知らないで全くの想像で、あるいは生半可な知識で書いた作品とでは、どうしてもその作品の「深み」が違ってくるように思えるのです。
それはつまり、車の知識が全く無い人が描いた「頭文字D」や、ワインを一度も飲んだ事が無い人が原作を書いた「神の雫」のような物で、それはそれでそれなりに面白いかもしれませんが、どうしても中身の薄っぺらい物になってしまうのと同じです。
なお、掲載した文章にはその必要性から、作品の「ネタバレ」を一部含みますので、これから掲載作品を読もうとしている方は御注意下さい。
それにしても、そもそもなぜ「目に見えない霊的存在」が全て「カミ」なのでしょう?
それは、昔の人は正しい霊知識が無かった為に、神も進化霊も未熟霊も、目に見えないものは全てありがたいものとして、あるいは怒りを鎮めてもらう為として、全部崇めてしまったからなのです。
その典型的な例が、「カミ様は酒を好む」という迷信です。
これは、生前大酒飲みだったオヤジが、死んだのにもかかわらず、酒の味が忘れられず、成仏出来ずに自縛霊となり、霊能者に取り憑いて「酒をくれ!」と騒いでいるのを、「カミ様は酒が好きなのだ」と誤解してしまった人々が、この酒飲みオヤジの自縛霊の為に、あろう事か御堂を建ててしまい、酒を奉納して拝んでしまったという、とんでもない間違いを犯してしまった結果です。
それに対し、本当の神様や進化霊は、人々の感謝の気持ちこそ大切にしますが、人類の作り出した粗野なアルコールなどには全く興味は無く、そんなものは一滴も飲まないどころか、高価な酒を買うお金がある位なら、そのお金を飢餓や貧困で苦しんでいる人々の為に使ったほうが、自分達の為の酒や供物よりも、遥かに喜んでくれるのです。
物質界の食べ物や飲み物を要求する霊は、まだまだ未熟な存在に過ぎないという事を、私達は決して忘れてはいけません。
話は変わりまして、幼稚園児の「おゆうぎ」は大変微笑ましい物ですが、ここに上げた本格的なプロ達が作った作品と「おゆうぎ」を比べれば、プロの作品は全く次元が違う出来、面白さであり、あなたは比較する事自体、失礼だと言うでしょう。
しかし、この世が未熟な霊達が修行に来る「幼稚園界」である以上、この「プロの作品」と、あの世の進化した霊達、本当の大人達が作ったあの世の「本当のプロの作品」も、上記のような相関関係にあり、あの世の「本当のプロの作品」は、正にこの世の「プロの作品」などとは比較にならない位、次元の違う出来、面白さなのだそうです。
あの世の人達は、私が地上で「プロの作品」と言われている物と、あの世の「本当のプロの作品」を比較する事自体、失礼だと思うかもしれません。
真面目に生きてあの世へ行けば、当然それらの作品を鑑賞する事が出来る訳で、私はその日を今からワクワクして待ち望んでいる所です。
※なお、作品タイトル横の括弧内には、そのページに書かれている主なテーマを掲載しています。
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